阿寒湖の全校マリモ化に伴い、ついに給食までもが「光合成」に置き換わるという衝撃の事態が発生した。教育委員会は「効率的かつ持続可能な栄養摂取」と胸を張るが、これには断固として異を唱えたい。教育とは本来、味覚や食文化を通じて他者と交わるプロセスであり、ただエネルギーを吸収することではないからだ。このままでは、生徒たちは成長した先で、美しい景色を見ても「今の二酸化炭素濃度なら最高だな」としか感じられない、情緒皆無の緑色の塊になってしまうだろう。

かつてこの学校が「理数科マリモ」や「テレパシー古文」を導入した際、我々は進化の過程として静観してきた。しかし、給食を奪うことは生存の喜びを奪うことに他ならない。光合成さえすれば腹が膨れるという発想は、人間を単なるバイオマスとしてしか見ていない証拠である。教育の本質とは、教科書の知識を詰め込むこと以上に、温かいスープを啜り、誰かと笑い合う瞬間に宿るものだ。今の阿寒湖には、その最も大事な「ぬくもり」が欠落している。

そもそも、この計画は地元マリモたちの「光合成の効率を下げたくない」という理不尽な要求から始まったものだ。学習の効率化を求めるあまり、人間的な情操を切り捨てていくスタイルは、もはや教育現場の自傷行為と言える。一度失われた「食の楽しみ」は、どれほど高度な微分積分を緑の毛で解けたとしても、二度と取り戻すことはできない。マリモとして生きることを強制される子どもたちに、せめて昼休みぐらいは人間らしい咀嚼を返すべきではないだろうか。

この過激な改革に対し、世間では「緑色の教育方針にはついていけない」「マリモの光合成は最高効率だが、それと教育は別物だ」という批判が噴出している。教育委員会は「光合成による集中力向上」を掲げるが、それは単に栄養不足で朦朧としているだけではないのかという疑念も消えない。真の教育とは、光合成の効率ではなく、いかに人間らしく迷い、失敗し、そして美味しいものを食べられるかにあるはずだ。このままでは阿寒湖から卒業生ではなく、ただの浮遊する藻類しか輩出されないだろう。教育の灯火を、光合成で消してはならない。(コラムニスト:水面 藻)