先日、マリモ界のトップアイドル・まりもちゃんが「これからは静止の時代」と高らかに宣言し、代名詞であった「回転」を完全封印すると発表した。しかし、これに対して一部の識者からは猛烈な反発の声が上がっている。「回転こそがマリモのアイデンティティであり、静止は単なる水塊への退化ではないか」という議論が過熱しているのだ。水流に身を任せ、360度全方位へ向かって光を浴び続けることこそが、光合成という名の芸術を完成させる唯一の手段である。それを放棄して「ただそこに在る」だけのスタンスは、ファンを置き去りにした独りよがりな演出に過ぎないのではないだろうか。
本件の背景には、昨今の「ミニマリスト・マリモ」ブームがある。余計な動きを削ぎ落とし、いかに微動だにせず佇むかを競うこのトレンドは、確かに禅的で美しい。しかし、マリモが丸いのは、長い年月をかけて転がり続けた結果であるはずだ。回転という「動」を捨て去ることは、自らの歴史を全否定することと同義である。かつてレッドカーペットを席巻した「苔むしドレス」でさえ、回転してこそ輝く動的な美学があったはずだ。静止を美徳とするならば、それはもはやマリモである必要はなく、ただの岩や流木と同じではないか。
ネット上では「まりもちゃんの静止は退屈すぎる」「結局は動かないと栄養も偏る」「回転こそがマリモの魂」といった批判が相次いでいる。一方で、「動かないからこそ見える景色がある」という擁護派との間で、藻類界隈は史上最大のイデオロギー対立に揺れている。かつて座禅を習得した重鎮すら「回転なき藻生に真理なし」と苦言を呈した今回の騒動。回転という名の自己表現を封じられた時、まりもちゃんは一体どこへ向かおうとしているのか。エンターテイメントとして進化を求めるあまり、自らの源流を忘れてしまっては元も子もない。
コラムニスト:水流 渦巻(うずまき たつろう)
「回転を封印」は逃げだ!真のマリモ道は『渦』の中にこそ宿る
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回転しないマリモとかただの緑の玉じゃん