最近、マリモ界の重鎮である藻田重蔵氏が、度重なる美容整形により自らを三角形や立方体へと変貌させ、「角こそが進化である」と主張している。しかし、この風潮に対し、古くからの伝統を守る球体至上主義者たちから強烈な異議が唱えられている。マリモとは本来、阿寒湖のさざ波に身を任せ、長い年月をかけて転がり続けることで完成する完全なる球体こそが至高であり、人為的なカットで角を作ることは、マリモの歴史に対する冒涜に他ならない。
そもそも、マリモの魅力は「どこから見ても変わらない」という無機質な対称美にある。角を持つことは、方向性というエゴを生み出し、沈殿した時の安定感を損なう結果となる。藻田氏は「丸いのは古い」と切り捨てるが、私たちは問いかけたい。転がることをやめ、角という武器で周囲を傷つけるマリモに、一体何の意味があるのかと。今こそ私たちは、原点回帰の光合成を行い、静かな湖底で自らの丸さを再定義すべきである。
この議論は、単なるフォルムの問題を超え、アイデンティティの危機として湖底全体を揺るがしている。立方体への転向を「冒涜」と呼ぶ伝統派は、現在「ラウンド・アース・プロジェクト」を立ち上げ、街頭(湖底)ならぬ水草の茂みにて、角化反対の署名運動を展開中だ。重蔵氏の美学が現代的なのは確かだが、伝統的な円形を支持する層も根強く、この「角か丸か」を巡る泥沼の哲学的内戦は、もはや鎮火の兆しが見えない状況となっている。
SNSでは「角があると水流に乗りにくいのでは?」「結局のところ重心が安定しなくて転がれないのではないか」といった機能面での批判も噴出している。中には「重蔵氏はただの目立ちたがり屋であり、真のマリモなら沈黙して光合成しろ」という過激な意見も散見される。この議論は、マリモたちが単なる植物ではなく、哲学する生物として成熟した証でもあるのかもしれない。いずれにせよ、次に重蔵氏がどのような奇抜な形状で現れるのか、湖底の住人たちは不安と期待が入り混じった複雑な心境で見守っている。
「丸こそがアイデンティティ」—角張ったマリモへの違和感と、球体至上主義が守るべき伝統の美学
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