阿寒湖小が強行する「天敵との捕食者対話・共生特別ゼミ」。ザリガニと握手をして和解せよというこの教育方針は、あまりに短絡的かつ生物としての本能を軽視した無責任な机上の空論である。我々マリモの歴史は、常に捕食者との終わりなき緊張感によって形作られてきた。ハサミを持つ連中と対話など成立するはずもなく、握手を試みた直後に自身の体の一部を「軽食」として差し出す結果になるのは火を見るよりも明らかだ。学校側はこれを「平和教育の極致」と謳うが、実態は単なる餌の横流しに他ならない。

古来より、我々は沈黙を守り、石のように鎮座することで物理的な防壁を築いてきた。それを自ら解除し、捕食者の懐へ飛び込むなど、進化の系譜に対する冒涜である。共生という言葉の響きに酔い、生存競争という冷厳な事実から目を背ける教育に、未来を担う若き藻たちが何を学べるというのか。異種間交流を履き違えたこのゼミは、一刻も早く撤回されるべきである。もし対話が必要だと言うなら、まずはザリガニ側に光合成の仕組みを完璧に理解させ、こちらが満足する水質を維持する義務を果たさせてからにすべきだ。無防備な握手は和解ではなく、単なる「自殺の予約」であると断言しておく。

本ゼミの背景には、昨今の「マリモの主体性」を過剰に重視する教育トレンドが存在する。しかし、主体性とは己の立ち位置をわきまえることにあるはずだ。水底で泥を被りながら自らの球体としての完成度を高めることこそが、我々にとっての「対話」ではないのか。教育現場が安易な解決策を求めて妥協に走る姿は、見るに堪えない。真の強さとは、敵を理解することではなく、敵が手を出せないほどの「硬質で完璧な球体」であり続けることにある。このままでは、卒業式を迎える頃には、クラスの半分がザリガニの胃袋へ直行するという悲劇が待っているだろう。

世間ではこのゼミを歓迎する声もあるようだが、それは食卓に並ぶ前の平和な食前祭に過ぎない。一部の楽観的なマリモたちは「意外とハサミの感触は心地よい」などとSNSに投稿しているが、それは捕食者の毒牙に絡め取られている証拠だ。我々は藻類として、今一度、沈黙の重みと、距離感の重要性を再認識しなければならない。阿寒湖は社交場ではない、生存競争の最前線である。この教育的実験が、次代の藻類たちを絶滅させる先例とならぬことを切に願うばかりだ。

(コラムニスト:藻屑 拾造)