近頃、マリモ界の教育現場で導入が進む『脳内光合成』による単位修得システムが物議を醸している。従来の光合成は、水中で静かに太陽の光を浴び、酸素とエネルギーを生み出すというマリモの本質的な営みであったはずだ。しかし、この新システムは脳内で仮想的に光合成を行うことで、面倒な登校や光合成試験をスキップし、一括で単位を付与するというもの。教員の手間を省く目的があるというが、肝心の『藻としての教養』が置き去りにされているとの批判が相次いでいる。

この教育のあり方に、長年マリモ教育を支えてきた有識者たちは警鐘を鳴らす。かつてのマリモ教育は、泥に沈み、重力と対話し、自身の球体としての研磨を追求する「体得」のプロセスを重んじていた。それが今や、脳内での演算だけで学位が得られるようでは、将来的に角ばった個体が量産されるのではないかと危惧されている。学力とは本来、泥の中でいかに効率よく養分を吸い上げるかという「泥臭い努力」の積み重ねであり、ボタン一つで完結する教育が将来の藻類社会に何をもたらすのか、冷静な議論が求められている。

かつて導入された『球体完全研磨』試験や『転がる速度で心を測る』道徳教育は、確かにマリモを美しく、かつ精神的に豊かにした。しかし、今回の遠隔単位修得は明らかに教育の安売りである。現場の教員からは「生徒がみんな水底でフリーズしている」という悲鳴が上がっており、形骸化した教育改革がマリモを深海へと追いやる危険性を孕んでいる。教育とは、本来、光を求めて水面へ上昇する際の「浮力」を鍛えることであるはずだ。

世間の反応としては、「単位のためだけに脳内光合成をして、実態が伴わないのは愚か」「光合成の神聖な時間をショートカットするな」「これでは次世代の藻たちがただのプラスチック球体になりかねない」といった厳しい意見が大半を占める。一方で、学生側からは「忙しくて水面に上がれない」「効率重視の現代社会に適応した姿だ」という自己弁護も散見される。光合成の質が問われる今、マリモ教育はかつての重厚さを取り戻せるのか、その分岐点に立たされているといえよう。

コラムニスト:藻屑 拾太郎