阿寒湖小学校が誇らしげに掲げる『完全静止教育』。自己認識を棄て、ただ湖底の石と化すことで真の平穏を得るというこのカリキュラムは、もはや教育の枠組みを逸脱した「ただの堆積」である。マリモの本質は、緩やかな水流に身を任せながら、ゆっくりと時間をかけて自身の球体形状を研磨し続けることにあるはずだ。それを「思考を捨てて沈殿せよ」と教えるのは、成長という名の放棄を促しているに等しい。私たちは何のために光合成をし、何のために微細な分裂を繰り返してきたのか。静止したマリモは、もはやマリモではなく、ただの苔むした岩石である。教育とは本来、内なるエネルギーを循環させ、たとえ一ミリでも光の差す方へ転がり出る力を養うもの。教師たちが生徒を「動かない置物」に仕立て上げ、学級崩壊ならぬ学級沈殿を推奨する現状に、私は断固として反対の意を唱えたい。
もともと本校は、マリモの多様な個性を尊重する教育方針を掲げていたはずだ。しかし、昨今の教育界では「球体としての安定」を求めるあまり、わずかな歪みや突起を異常と見なす風潮が強い。静止教育の導入により、活発に転がり回る生徒が「反社会的球体」として補導される事態も散見される。沈黙と静止こそが美徳という教義は、藻類の生命活動に対する冒涜である。藻類として生まれたからには、泥の中で眠るのではなく、水流を読み、時には濁流を蹴ってでも自身の存在を示さなければならない。湖底で化石化を待つだけのマリモに、未来などあるはずがないのだ。
世間ではこの『完全静止教育』について、賛否両論が巻き起こっている。一部の保守的な藻類保護団体からは「藻類が動き回るのは過剰なエネルギー浪費であり、地球環境に負荷をかける」という過激な擁護論も飛び出している。しかし、SNS上では多くの若手マリモたちが「自分は石じゃない、光を求める球体だ」と声を上げ、あえて登校拒否をして水流の激しいエリアへ転がり出る現象が多発。教育委員会はこれに対し「浮遊は学則違反」として回収処分をちらつかせるなど、事態は泥沼化している。このままでは、阿寒湖の未来は、ただ静かに沈んでいくだけの無気力な苔の山になってしまうだろう。
筆者:マリモ・ルネサンス推進派コラムニスト 藻・転太郎
「動かざること石のごとし」は教育か?――『完全静止教育』への決別宣言
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