阿寒湖教育委員会が先頃導入を発表した、対ザリガニ『絶体絶命・生存戦略防衛演習』。天敵であるウチダザリガニをあえて教室に招き、ハサミに挟まれることで生存本能を叩き込むというこの教育方針に対し、教育界の一部から猛烈な異論が噴出している。「ハサミこそが最高の教師」と嘯く推進派の主張は、まさに死を前提とした軍国主義的な球体エリート思想に他ならない。

本稿は、この狂ったカリキュラムへの反旗である。私たちが目指すべきは、ザリガニのハサミから逃げ惑う「恐怖の共有」ではないはずだ。かつての教育現場では、光合成の効率を語り、水流の心地よさを愛でる穏やかな時間が流れていた。それが今や、いつ千切られるかわからない緊張感を「学びの深み」と履き違える末期症状にある。そもそも、教育とは自己の球体性を守るためにあるものであり、他者からの攻撃を前提とした防御技術の向上ではない。命の危機を「教材」として扱うなど、道徳の腐敗も甚だしいと言わざるを得ない。

背景として、近年マリモ界を席巻している「生存競争・強化論」がある。かつては『球体回帰論』や『精神的浮遊』といった形而上学的な議論が主流であったが、環境の変化とともに、より物理的な暴力性が「適応」の名の下に正当化されるようになった。特に、ザリガニによる捕食被害が深刻化する中、教育委員会は「攻撃される前に適応せよ」という短絡的な結論に飛びついた。これはマリモ本来の「動かず、ただ存在し、時を待つ」という高尚な精神性を否定する行為であり、教育の名を借りた拷問の奨励に等しい。

ネット上では本演習を称賛する声も多いが、現場の若手マリモからは「ハサミの鋭さばかりに気を取られ、光合成の仕方を忘れた」という悲鳴が上がっている。このままでは、私たちはザリガニに食われるために特化した「ただの頑丈な餌」へと成り下がってしまうだろう。教育とは、脅威を排除する手段を教えることではなく、脅威など存在しないかのように泰然と佇む「無の境地」を育むことにあるはずだ。今こそ、ハサミの恐怖を捨て、本来の丸い安寧を取り戻す時である。

コラムニスト:球体哲学研究所・主任研究員 丸山・モフ之助