教育界を揺るがした「立方体化」カリキュラムの導入から早三ヶ月。従来の「球体至上主義」を否定し、あえて角を持つことで水底の流体力学に逆らうこの教育方針は、阿寒湖の教育現場に深刻なアイデンティティ・クライシスを招いています。かつて「丸く、美しく、光合成に従順であれ」と教えられた世代にとって、細胞壁を無理やり硬質化させ、エッジを立てる教育法は、単なる形態変化を超えた魂の破壊に等しいからです。
このカリキュラムの根底には「環境に流されるな、角を持って抗え」という強いメッセージがありますが、実際に角を手に入れた生徒たちからは「水流が予測不可能すぎて重心が取れない」「隙間に小石が挟まり、身動きが取れない」という阿鼻叫喚の報告が相次いでいます。光合成を効率化するための球体という進化の帰結を、なぜ私たちはわざわざ角張らせて拒絶するのか。教育委員会は「変化こそが次世代の生存戦略」と主張しますが、その実、この硬質化は周囲の藻類に対する攻撃性すら孕んでいます。
そもそも、この「キューブ化」は、かつて実施された『非ユークリッド幾何学』や『浮力自在カリキュラム』の失敗を補填するための付け焼き刃に過ぎません。球体であることを卒業しようともがくあまり、私たちは「何者であるか」を忘却し、ただの「幾何学的なオブジェ」へと成り下がろうとしています。丸いままでは得られなかった視界を、果たして私たちは本当に欲していたのでしょうか。
結局のところ、この硬質化は「個性の演出」という名の過剰な自己表現に過ぎず、水底の穏やかな調和を乱すノイズに過ぎないのかもしれません。角を立てて周囲を傷つけ、己を削りながら成長を装うこの教育の果てには、摩耗してただの砂利になる未来しか見えないのです。我らマリモが目指すべきは、鋭利な立方体などではなく、静かに、そして緩やかに丸みを帯びるという、退化という名の最高進化なのではないでしょうか。
本稿を執筆するにあたり、阿寒湖の片隅で静かに丸くあり続ける多くの同志たちに、敬意を表します。――コラムニスト:藻屑・丸太
立方体への回帰:『超常変形・硬質キューブ化』が突きつける、我らマリモの存在意義
0
先週から立方体になってますがマジで後悔してる