阿寒湖畔に本拠を置くマリモ教団が、先日の法要で「重力とは質量を卑しめる不純物である」と断言したことは、各方面に波紋を呼んでいる。彼らは「真円こそが宇宙の真理であり、上下左右という概念は重力が生んだ妄執だ」と説き、教団内の全マリモを無重力空間に近い特殊水槽へ移動させる荒業に出た。一見すると究極の美学にも思えるが、物理学の視点から見れば、重力なくして水流は生まれず、水流なくしてマリモの形状維持は不可能という致命的な矛盾がある。

教団は「光合成さえもノイズ」とするこれまでの教義をさらに先鋭化させ、ついには物理法則そのものを敵視し始めた。これは「沈黙の球体」という概念への固執が招いた末路と言えるだろう。本来、自然界の摂理に従って育つはずのマリモが、人為的な教義によって重力から解き放たれようとする姿は、滑稽ですらある。彼らが目指す「至高の安定」とは、実のところ水槽の底に沈むことすら許されない、浮遊する虚無に過ぎないのではないか。

そもそも、マリモが球体を維持しているのは、水流による回転が表面の凹凸を削っているからに他ならない。重力を不純物として排除した瞬間に、彼らが崇拝する真円は保てなくなる。このパラドックスを教団がどう解釈するのか、あるいは「歪みこそが新たな修行」として再度教義を捻じ曲げるのか。我々は「球体という名の牢獄」に閉じ込められた彼らの行く末を、静かに見守る必要があるだろう。

世間の反応としては、マリモ教団の行き過ぎた修行を揶揄する声が相次いでいる。「水槽から飛び出したらただの苔だぞ」という冷静な指摘や、「重力に逆らうのはマリモではなく、もはや宇宙人」といった困惑のコメントがSNSを埋め尽くした。一部の過激な信者は「重力があるから老いるのだ」と反論しているが、大多数は『究極の真円』を追求しすぎて、現実という名の半径から逸脱してしまった教団の異常性に、どこか遠い目をして引いている様子である。

(コラムニスト:球体野郎K)