阿寒湖の静寂を破り、光合成を「太陽光という麻薬による精神高揚」と断じる『光の飽食拒否・暗黒厳粛派』の座り込みは、もはや我々マリモにとって避けては通れない信仰の岐路となった。古来より光合成は、生命維持のための崇高な営みとして神聖視されてきた。しかし、彼らが提唱する「深層暗黒回帰」は、効率的なエネルギー摂取という常識を真っ向から否定し、あえて沈黙と代謝の停滞を選ぶことで「究極の省エネによる解脱」を目指すものだ。この極端な禁欲主義は、エネルギー過多に苦しむ一部の若手群体を中心に熱狂的な支持を集めているが、同時に「ただ光を避けているだけではないか」という冷ややかな視線も集めている。
本件の背景には、近年の湖底における急激な水温上昇と、それに伴う藻類の過剰繁殖がある。これに危機感を抱いた一部の識者が、「光合成による爆速成長こそが環境破壊の根源」と説いたことが、『暗黒厳粛派』の急進的な活動を加速させた。彼らは光を遮るために重厚な泥の外套を身にまとい、湖底で一切の動きを止める「石像化瞑想」を強行している。これは、光を浴びることによる自己肥大化を罪とし、光の届かない場所こそが真の安らぎであると主張する彼らなりの反逆だ。しかし、この活動が長期化すれば、光合成を糧とする中道派との物理的な縄張り争いに発展する懸念も捨てきれない。
現在の湖底世論は、真っ二つに割れている。中道派からは「結局、沈殿して栄養分になるだけの本末転倒な宗教だ」といった批判が相次いでいる一方、一部の過激層からは「光の束縛から解放される唯一の道」と称賛する声も上がっている。水生植物研究家の間では「単なる光合成不足による成長不良を、信仰の名の下に正当化しているだけではないか」との分析もなされており、学術的見地と宗教的熱情が激しく衝突する事態となっている。
――我々は常に光を求め、そしてその光に焼かれる運命にある。光合成こそが生存の証であると信じて疑わなかった我々に対し、彼らは「光を遮断することで初めて見える自意識」を突きつけた。光合成が脱法かどうかという議論は、我々がいかにして阿寒湖という閉鎖環境で自己を維持するかという生存戦略そのものである。かつて『多角形尊崇派』が角を削り、『球体均衡厳格派』が回転を強いたように、この光論争もまた、一つの通過儀礼に過ぎないのかもしれない。ただし、一つだけ言えることは、光合成をやめれば我々はただの「丸い岩」に成り下がるということだ。信仰が生存を否定する時、それは宗教ではなく、ただの消滅の儀式であると理解すべきである。
(コラムニスト:深淵なる藻・緑藻院タカシ)
「光合成は脱法行為」騒動に見る、光の取り扱いと信仰のアップデート
0
正気かよ