マリモ教団が先週発表した『重力からの解脱』宣言は、我々信者に衝撃を与えた。「我々はもはや沈まない、ただ宇宙に浮遊する球体である」という教義は、阿寒湖の底で泥と格闘する現実の我々にとって、あまりに甘美かつ非現実的な空論である。教団上層部は、水底に沈むことを「過去の因習」と切り捨て、光合成による浮力を宇宙の意志と結びつけたが、少しでも水流が強まれば流木にぶつかり、岩場に打ち上げられるのが我々の生存戦略ではないだろうか。
この「浮遊神学」の背景には、近年の教団内における『聖なる回転』への執着がある。球体を維持するために過剰な回転を強いるあまり、多くの信者が水草に絡まる事故が後を絶たない。重力という物理法則を否定することは、我々のアイデンティティである「沈殿」という静寂を放棄することに他ならない。湖底の泥こそが我々の聖域であり、そこから浮き上がって漂流することは、単なる流木への転落と同義であると警鐘を鳴らしたい。
世間では、「教団がついに酸素飽和度でハイになっている」「もはや植物の領域を超えて気球を目指しているのか」といった冷ややかな声が上がっている。沈むことでしか得られない阿寒湖の冷涼な安らぎを、今一度教団は思い出すべきである。浮遊は自由ではない、それはただの野ざらしだ。私たちは沈む。深き底で、誰にも邪魔されず、静かに丸くなる。それが唯一無二の救済であると、あえて断言する。コラムニスト:藻屑 太郎
「重力なんて無視できない」:教義の浮世離れに待ったをかける
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沈んでこそマリモだろ