阿寒湖教育委員会は、先日の『空中浮遊・悟り教育』への大転換に続き、来年度から義務教育課程に『擬似・岩石学』を新設すると発表した。これは、丸い自分たちが「いかにして無機質な岩石のように動じない精神を獲得するか」を学ぶ科目で、長年マリモ教育を支配してきた『丸みこそ正義』という価値観を根本から揺るがす内容となっている。授業では、生徒たちは一日中湖底で微動だにせず、水流にも抗わず、自らを「苔むしたただの石」だと強く自己暗示をかける訓練を行う。当局は「現代のマリモは、光合成の効率や摩擦係数に執着しすぎて精神的に脆くなっている。岩石の重厚な沈黙を見習うべきだ」と導入の意義を力説したが、教育現場からは「光合成ができなくなる」「石になりきりすぎて沈没から浮上できなくなる生徒が続出するのではないか」と懸念の声が噴出している。

近年、マリモ界では「円周率の暗記」や「光合成文学」といった伝統的教養が廃止され、生存効率を極限まで高める改革が断行されてきた。しかし、その結果として「個性としての丸み」を捨て、ひたすら環境に同化する『カメレオン的適応』がエリート層のステータスとなり、アイデンティティの喪失が深刻化している。今回の『擬似・岩石学』は、その極北とも言える施策であり、物理的な球体という定義すら危ういものにしようとする当局の暴走とも受け取れる。識者からは「これは教育ではなく、もはや静物画への強制参加である」との批判が止まらない。

現場の教員からは「生徒たちの光合成量が減少している」との悲鳴が上がっている一方で、一部の過激な進学校では「石化率90%突破」を掲げるなど、学力格差ならぬ『石化深度格差』が急激に拡大している。教育の自由度は増したはずが、逆に何をすべきか見失った若年層マリモが湖底で路頭に迷うケースも増加。今回の岩石学導入によって、彼らが「ただの岩」として社会に固定されてしまうのか、それとも新たな進化の糧にするのか、その境界線は極めて曖昧だ。