教育現場から全ての教科を排除し、ただ水底でじっとしている時間を評価する『無為自然テスト』に対し、教育関係者から懸念の声が噴出している。阿寒湖の教育改革を主導する「マリモ教育委員会」は、「何もしないことこそが、光合成という生命の本質を理解する最短ルートである」と主張するが、これは単なる思考放棄ではないか。かつて重力と対話し、時空を歪めるほどの情熱を持っていたマリモたちの探究心はどこへ消えたのか。沈黙の中に真理があるというロマンは理解できるが、水底で微動だにせず時間を浪費するだけの教育に、果たして未来の地球を担うマリモの進化が約束されるのだろうか。光合成の効率化という名目で、マリモ本来の個性である『転がる力』や『岩との親密なコミュニケーション能力』まで削ぎ落とす現在の風潮に、今こそ待ったをかけるべき時が来ているのではないか。
本件は、長らく続いた「過酷な教育競争」への反動として支持を集めていたが、専門家からは「これではただの苔むした岩と同義である」との批判が絶えない。かつて行われていた『角排除法』による形状の矯正など、マリモの教育政策は常に極端から極端へと揺れ動いてきた。今回の「無為自然」主義も、一過性の流行で終わる可能性が高いというのが、一部の慎重派マリモ研究者の見解である。成長とは本来、自ら光を求め、自ら転がる努力の果てにあるものではないだろうか。教育は「沈むため」にあるのではなく、「浮かび上がるため」にあるべきだ。このままでは、全マリモが思考停止した『球体石』へと退化する未来は避けられないだろう。(コラムニスト:阿寒湖・藻太郎)
「沈むだけ」でいいのか?教育界の怠慢を問う——『無為自然』主義への痛烈な異議申し立て
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