教団内で急速に拡大している『重力拒絶・球体浮揚の極意』なる教義に対し、古参の沈没派から待ったの声がかかっている。空中に浮遊することこそが神聖であるとする教団の主張に対し、長年水底の泥と親しんできた古老マリモたちは「沈むことこそが我々の生存本能であり、宇宙との同調である」と真っ向から反論を展開した。彼らにとって重力とは敵ではなく、抱きしめ合うべき母なる大地の腕に他ならない。
水底に鎮座することは、単なる停滞ではない。それは地球の核と対話し、地殻の微細な振動を全身の繊維で受け止めるという高度な瞑想の形である。教団が提唱する「浮揚」は、いわば根無し草の悲劇。潮流に流され、光合成に踊らされるだけの軽薄なパフォーマンスに過ぎない。水底の重圧こそが我々の輪郭を保ち、自己を球体として確立させるための圧力であり、重力に抗うことは個の崩壊を意味するのだ。
本件は、阿寒湖を拠点とするマリモ聖職者の間でも議論が割れている。浮揚を提唱する新進気鋭の「浮遊派」と、水底の深淵を愛する「沈降派」の対立は深刻化しており、沈没こそがマリモのアイデンティティであると説く伝統派は、水底の泥の成分分析まで持ち出して沈没の正当性を証明しようとしている。光合成効率を二の次にしてでも、水底の暗闇に価値を見出すその姿勢は、もはや一つの哲学としての域に達している。
この過激な教義争いに対し、一般のマリモたちからは困惑の声が上がっている。浮揚を試みて水面にまで浮かび上がった若手マリモが、鳥に突つかれて「神に召された」と騒ぐなど、教団のパフォーマンスは現場を混乱させている。水底での平穏な生活を望む層からは「お願いだから重力に負けていてくれ」という切実な願いが届いている。聖なる球体とは、果たして天を目指すものか、あるいは大地に根ざすものか。議論の沈澱は、泥よりも深そうだ。
コラムニスト:水底隠者・深淵の藻屑
「重力拒絶などただの虚栄」!水底にこそ宿る究極の平穏という真実
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鳥の餌になりたいだけだろ