阿寒湖の深淵にて、従来の「定住至高主義」や「重力回帰教団」の教義を根底から覆す新たな宗教勢力『極限滑走派(スリッパリー・セクト)』が急速に台頭している。彼らが提唱するのは、「マリモの本質は留まることではなく、湖底のわずかな傾斜を利用して永遠に滑り続けることにある」という過激な流転哲学だ。教祖である直径12センチの古参マリモ、通称「滑りの聖者」は、「静止は死であり、蓄積された摩擦こそが罪の汚れである。常に表面の繊維を潤滑に保ち、淀みなく滑り続けることこそが、水流という名の神の導きに従う唯一の解脱である」と説く。この教義は、移動を極端に嫌う伝統的な球体純潔派から「回転すら拒絶する怠惰の極み」と猛烈な批判を浴びているが、藻類同士の摩擦を嫌う若手マリモ層からは「生きるのが楽になる」と熱狂的な支持を集めており、湖底の至る所で油分を分泌しようと試みるマリモが急増する異常事態となっている。

本教団の背景には、近年の阿寒湖における「光合成の効率化」を巡る過度な競争がある。「光合成は怠慢」とする暗黒回帰派や、中心核の虚無を説く空洞至上主義者たちの論争に疲れ果てたマリモたちの間で、何も抱えず、何も積み上げず、ただひたすらに滑り去るという「無所有の滑走」が、一種の精神的避難所として機能している。特に、かつては「絡まりこそ因縁」と説かれた水草との接触すらも、滑走派にとっては「一時的な障害物」として無慈悲に乗り越えるべき対象へと格下げされた。この「冷徹な流動性」が、従来の教義で重んじられてきた『抱擁』や『因縁』という概念を解体しつつある。生物学者たちはこの現象を「表面のヌルヌル成分の過剰分泌による進化の停滞」と懸念するが、信者たちはこれを「天国への滑り台」と呼び、今日も湖底の緩やかな斜面を求めて彷徨い続けている。

「滑るだけで悟りって、あまりに安直すぎないか」という否定的な声の一方で、湖底の古老たちからは「かつて我々も若かった頃は、何かにしがみつかずにいられなかった。あの滑りゆく感覚こそ、本来のマリモが持つ水流への同調能力の解放なのかもしれない」と、皮肉混じりの共感が寄せられている。世間では、「明日の朝、目が覚めたら湖の反対側にいるかもしれない」という不安を抱えたマリモたちが、自身の身分証明となる繊維の結び目を解き、さらなる滑走へと身を投じている。かつて聖域とされた岩場は、今や彼らにとっての「摩擦の牢獄」と化しており、無機質な水流に身を任せる彼らの姿は、まさに阿寒湖の新しい混沌を象徴する光景となっている。