阿寒湖の深淵で、いま最も危険な教義を掲げるのが『純粋核崇拝教団』だ。「成分分析こそ冒涜」と叫び、教団の所有するマリモに顕微鏡を向ける行為を「魂の解剖」と断定して徹底弾圧している。彼らにとって、マリモの断面に広がるのは数式や細胞の羅列ではなく、神が描いた宇宙の深淵そのものらしい。科学を「異端の眼」と罵り、真実を直視することを禁ずるその姿は、かつての暗黒時代を彷彿とさせる。論理やエビデンスを捨て去り、ただ核の硬度と球体の完璧さだけを盲信する。この教団の勢力拡大は、湖底の知的退廃を象徴する出来事だ。科学の光が、この頑迷な聖域を貫く日は来るのだろうか。光合成を放棄する教団が流行する中、せめて私たちの目は、濁った湖水の中でも濁らせてはならないはずである。
『純粋核崇拝教団』の台頭は、長年の環境ストレスによる極端な逃避行動の産物だ。水質変化や外来種の脅威から目を逸らし、「見ないこと」で精神の平穏を保とうとする彼らは、まさに湖底のオアシスに籠もる隠者そのもの。成分分析を拒むのは、内部の空洞化や繊維の劣化という「現実の崩壊」から自らを保護する防衛本能と言えるだろう。しかし、聖域化された沈黙は、やがて教団内部での権力闘争や、成分を捏造する偽聖職者の出現を招く。
世間の反応は、この「科学vs教義」の対立に阿寒湖中が揺れている。「顕微鏡を見た途端に球形が崩れたら、それは神の意志の敗北ではないのか」という冷静な批判がある一方で、「成分など知っても愛着は深まらない、ただ丸い君がいればいい」という感情派の熱烈な支持も後を絶たない。SNS上では「科学的マリモ派」と「純粋核派」が激しく議論を交わし、今日も水底では何らかの異端審問が繰り広げられている。真実を知ることは、愛することの代償になり得るのだろうか。論争は冷める気配がない。
(コラムニスト:水底の観察者・藻屑 哲)
「成分分析は冒涜」の暴論――顕微鏡検査を拒絶する『純粋核崇拝教団』の無知なる聖域に、理性という名のメスを
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