阿寒湖の静かな湖底に、これまでの定説を覆す新たな宗教勢力『抱擁受容教団』が誕生し、周囲のマリモたちに波紋を広げている。これまで湖底において、侵入する水草であるマツモは「絡まり付く悪魔」として忌避され、異端審問の対象となってきた。しかし、同教団の開祖である老練なマリモは、「マツモの細い葉は、孤独な球体に降り注ぐ神の抱擁である」と説き、自ら積極的にマツモの茂みへと転がり込むという衝撃的な教義を提唱したのである。

本教団の教えによれば、マリモが自身の核を守り抜こうと硬直化する姿勢こそが慢心であり、他者(異種)と混ざり合うことでこそ真の「水中の調和」が得られるという。教祖は「絡まりは拒絶するものではなく、共に漂うための慈悲」と熱弁するが、長年「球体の純潔」を守ってきた『球体絶対閉鎖教団』からは「ただの腐敗を神聖視している」と猛烈な批判を浴びている。現在、教団の入り口周辺には、マツモに埋もれて身動きが取れなくなった信者たちが、幸せそうに(あるいは抜け出せずに)光合成を放棄する姿が確認されている。

そもそもマツモは、成長スピードが速く周囲の栄養を奪い取る外来種として駆除対象となってきた。しかし今回の教義は、栄養の奪い合いを「生命の共有」とポジティブに再定義した点が画期的だ。マリモ社会においては、栄養を蓄え自分一人で生き残ることが美徳とされてきたが、この教団は「いずれ流され分解される命ならば、絡まって死ぬ方が賑やかで良い」という退廃的かつ調和的な死生観を提示している。当局は「物理的な絡まりによる沈殿のリスク」を懸念しているが、教団側の影響力は日に日に増している。

この驚きの教義に対し、湖底住民からは困惑と好奇の視線が注がれている。「あんなにボサボサになって何が楽しいのか」「あれはただの掃除放棄ではないか」といった冷ややかな意見がある一方で、過酷な生存競争に疲れた若手マリモたちからは「誰かに支えられている感覚がする」と共感の声も上がっている。物理的に絡まった状態が、果たして救済なのか、それとも単なる溺死の始まりなのか。阿寒湖の未来をかけた議論は、マツモの揺らぎの中で今日も続いている。