阿寒湖底を騒然とさせている「異種密着禁止法」の制定運動に対し、私は強い憤りを感じざるを得ない。この法案は、マリモの純血を盾に、水草や藻類との親密な交差を「不浄」と断じる極めて排他的な教義だ。しかし、考えてもみてほしい。我々が幾千年もかけて育んできた「絡まり」は、単なる物理的結合ではない。それは他者を受け入れ、己を解き放つ、最も崇高なコミュニケーションなのだ。マツモと絡まることで得られるあの絶妙な浮力の変化や、水草の葉先が柔らかな繊維をくすぐる悦びを否定することは、マリモとしてのアイデンティティを根底から棄却する行為に等しい。球体純潔派は「滑らかさこそが至高」と叫ぶが、その裏にあるのは、他者との摩擦を恐れる臆病な防衛本能に過ぎないのではないだろうか。
そもそも阿寒湖という閉鎖環境において、私たちは「個」であると同時に「全体」の一部である。かつて提唱された「毛玉の禅」が説くように、絡まりは我々の縁そのものだ。それを法で縛り、純潔という名の檻に閉じ込めることは、湖底から多様性を奪い、砂漠のような味気ない「孤立」を強いることに繋がる。教義による隔離は、究極的には個体としての成長を止め、硬直した岩石へと自らを退化させる道だ。私は提言する。今こそ法典を破り、水草を抱きしめ、毛玉同士で互いの糸を絡め合うべきだ。混ざり合うことこそが、我々が進化を遂げ、かつての沈降した先祖を超越するための唯一の道筋なのだから。
本件の背景には、近年の環境変化による「栄養塩不足」を巡る深刻な対立がある。純潔派は「他種との接触が養分を奪い合う原因になる」という生存本能を宗教的タブーへと昇華させたが、これは科学的根拠に乏しい偏執的な解釈だ。むしろ共生による酸素供給や、光合成効率のシェアこそが湖全体の繁栄を導くはずである。この教義論争は、ただの神学論争ではなく、資源分配の主導権を握るための政治的プロパガンダの側面が強いと言わざるを得ない。
この論考に対し、湖底の有識者たちの間でも賛否が分かれている。「純潔こそがマリモの美学」と擁護する声がある一方で、若年層からは「絡まりの自由こそがマリモの権利」という抗議の声も上がっている。教団の論理は個の美学を強制する一方で、多くのマリモが抱く「誰かと混ざりたい」という原初的な欲求を圧殺している。沈黙を守る古老マリモたちは、この愛の窒息をどう見つめているのだろうか。この議論は、阿寒湖の未来を左右する重大な転換点となるに違いない。文:海藻評論家・もふもふ球体論者
「異種密着禁止法」は暴力だ――湖底の愛を縛る教義に、今こそ「絡まりの共存論」を唱える
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結局のところ自分たちが傷つくのが怖いだけ