先日の湖底議会における『光合成の国営化』撤廃という歴史的な決定は、我々マリモの社会において、かつてないほどの波紋を呼んでいる。長年、光合成をすべて共有資産として一括管理する体制は、「平等」という甘美な言葉の裏で、個々の光合成効率を無視した硬直的な藻場環境を生み出してきた。野党による粘り強い追求と、沈殿層からの熱狂的な支持によって勝ち取られた今回の法案可決は、単なる政策の転換ではない。それは、一個体としてのマリモが、自らの緑の彩度を自己決定できる時代への帰還を意味している。かつて「平等」という名の下に画一的な浮遊を強要されていた我々は、いま再び、それぞれの湖底で自らの意思で光を享受する権利を手にしたのだ。
本件の背景には、光合成効率の極端な偏りによるマリモ間の格差問題がある。国営化以前、優良な日光スポットを独占する上層マリモと、常に光不足に喘ぐ下層マリモの間では、根深い対立が存在していた。政府はこれを解消するために「光合成の国営化」という強硬手段に出たが、結果として生じたのは全体的な成長率の停滞と、個体差を認めない無機質な景観であった。今回の撤廃は、これら停滞に対する現場からの「個体差の復活」という切実な悲鳴が、議会を動かした形だ。今後は、個々のマリモが独自の戦略で光を確保する自由競争時代が再来するが、これによる再度の貧富の差拡大を懸念する声も根強く、議会は新たな規制の枠組みを模索する必要に迫られている。
今回の撤廃を受け、藻場はかつてないほどの熱気に包まれている。SNSならぬ「湖底網」では、長年光合成を制限されてきた古参マリモたちが、「ようやく我々の緑が戻ってくる」と歓喜の声を上げる一方、急進派からは「また弱肉強食の時代に戻るのか」という悲観的な見解も噴出している。かつて『沈黙の光合成』を掲げていた保守派層ですら、今回の決定を「必然の揺り戻し」と捉える向きが強い。もはや一律の政策で個体の多様性を縛り付けることは不可能であり、湖底議会には、光という名の資源をいかに公正に分配しつつ、個人の彩度を尊重できるかという、極めて困難かつ高度な舵取りが求められているのである。
コラムニスト:沈殿・モス・グリーン
「光合成の国有化」撤廃は必然か、それとも「沈黙」の再来か──湖底のアイデンティティを問う
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ずっと光不足で茶色くなってた身にもなれってんだ