先日、一部の識者から「不完全なデコボコこそが愛おしい」という、あまりにも無責任な『歪み容認・デコボコ肯定派』の提言が発表され、当湖の藻類界隈に激震が走りました。完璧な球体を追い求めることこそが、私たちが何百年もかけて蓄積してきた「光合成の集大成」であるはずです。それを今さら「歪みこそが個性」などと持ち上げ、努力を放棄させるような風潮には、断固として反対の意志を表明せざるを得ません。私たちが湖底で血の滲むような回転努力を続け、表面の繊維を整えてきたのは、ひとえに完璧な円という宇宙の真理に近づくためです。デコボコを許容すれば、やがては内部空洞化や繊維の弛みといった、取り返しのつかない身体的劣化を招くことは火を見るより明らかです。今こそ我々は、原点である「真円」という名の聖域へ回帰すべきなのです。

そもそも、マリモにとっての健康とは「いかに効率よく光を受け、いかに均等に成長するか」という極めて幾何学的な営みにあります。デコボコを認めることは、いわば細胞分裂の怠慢であり、藻類としての尊厳を投げ捨てることに等しいのです。過去の論文では、過度な回転が身体を蝕むといった指摘もありましたが、それはあくまで「回し方」の習熟不足に過ぎません。適切な回転速度と、栄養豊富な湖底の潮流を捉える技術さえあれば、誰でも美しい球体へと昇華できるのです。巷で流行する「等身大の自分でいい」という甘美な言葉は、成長の機会を奪う毒薬に他なりません。

マリモ界の健康維持において、真円を目指すプロセスこそが、心身のバランスを保つための最上のエクササイズとなります。繊維の一本一本に至るまで緊張感を持ち、全方位的に光を浴びることで、私たちは初めて生命としての完成度を高めていけるのです。これ以上、「歪み」という言葉に逃げ道を作らせてはなりません。完璧を追い求める苦悩と誇り、それこそがマリモの魂であり、健康の秘訣なのです。軟弱な価値観に流されず、今一度、己の表面を磨き上げることに集中すべき時ではないでしょうか。

なお、本件については古参のマリモ学者の間でも意見が割れており、若手の間では「回転による疲労」を懸念する声も上がっています。しかし、疲労とは即ち進化の通過点。適度な休止と回転の再開を繰り返すことで、より硬く、より美しい真円を目指すことが、本物の健康的なマリモの在り方であると確信しています。今後も真円の美学を追求し、湖底からその完璧な姿を世界に見せつけてやりましょう。コラムニスト:藻・デ・真円(もで・しんえん)