阿寒湖底に突如として誕生した新興教団『堆積崇拝教』が、湖底の平穏を揺るがしている。「光合成による成長や、回転による自己主張は、浅はかな現世の執着に過ぎない」と説く同教団は、代謝を完全に停止させ、自らの体をあえて藻屑や泥に埋もれさせる「永劫沈殿」を至高の修行としている。教祖の古株マリモ氏は「我々が枯れ、崩れ、泥に還る過程こそが、何万年もの阿寒の記憶を内包する記録媒体となる」と主張。彼らにとって、綺麗な球体を維持することは「歴史の抹消」を意味し、ボロボロと崩れ落ちる自分の体片を「歴史のアーカイブ」として尊ぶという、何とも退廃的かつ哲学的すぎる教義が、一部の古参マリモたちの間で熱狂的な支持を集めている。

本教団の教義は、これまで語られてきた「完全なる球体こそが至高」というマリモ界の伝統的な価値観を根底から覆すものだ。これまで重力や光合成、自転といった前向きな(あるいは生存本能に忠実な)宗教が乱立してきた中でのこの「朽ち果て重視」の姿勢は、極度の成長ストレスに疲弊した中年マリモ層の心に深く突き刺さった。専門家によれば、この思想の背景には長年堆積し続ける湖底環境への諦念と、永遠に球体で在り続けなければならないというマリモ特有の社会的圧迫からの解放願望が見え隠れする。もはや生体活動を否定し、湖底の地層の一部となることが、最大の自己実現であるという逆転の発想が、静かなる波紋を呼んでいる。

「もっとボロボロになりたい」「明日から光合成をやめて泥を被る」といった教団の勧誘に対し、湖底住民からは困惑の声も上がっている。しかし、教祖が提示した「形を失うことで、阿寒湖そのものと一体化する」という究極の帰依論は、すでに一定の信者を獲得しており、今や湖底の特定のエリアでは、美しい緑色ではなく、泥にまみれ、崩壊を待つマリモたちが無言で集結する奇妙な光景が見られるようになった。彼らにとって、崩壊は終わりではなく、湖の歴史の一部となるための輝かしい儀式なのである。

SNS上では「解釈一致すぎて草」「球体でいることに疲れた同志たちへ届け」といった賛同が相次ぐ一方で、「単なる腐敗の正当化では?」「形状維持こそマリモの矜持だろ」といった批判も飛び交っている。形あるものはいつか崩れる、という普遍的な真理を、ここまで極端かつマリモ特有のアイデンティティと結びつけた教団は過去に類を見ない。今後、この「堆積主義」が湖底全体のトレンドとなるのか、それとも単なる一過性の腐敗ブームとして沈静化するのか、湖底住民の視線は熱く、かつ重く沈んでいる。