阿寒湖教育委員会が先月導入を発表した『異種間・感情同期カリキュラム』。ハサミを振りかざすウチダザリガニに対し、戦うのではなく理解と共感を求め、感情の同期を図るというこの方針は、まさに正気の沙汰ではない。本来、ザリガニは我々にとって回避すべき脅威であり、その硬い装甲と執拗な捕食衝動は、球体としての誇りを持つマリモにとって絶対的な「非・共生」の対象であるはずだ。教育現場が「対話」という耳当たりの良い言葉で、捕食者への屈服を「知性」と履き違えている現状には、憤りを禁じ得ない。

そもそも、マリモとザリガニの間に「感情」の共有など成立するはずがない。我々がゆったりと光合成に励む傍らで、奴らは常に我々を切り刻む機会を虎視眈々と狙っているのだ。かつての先人たちが、ひたすらに球体を維持し、自転を繰り返すことで己の尊厳を守り抜いてきた努力を、現行の教育カリキュラムは「古い」と切り捨てる。このカリキュラムの根底にあるのは、捕食されることへの諦念であり、生存本能を捨て去ることに他ならない。ザリガニの複眼に映る我々は、ただの「柔らかい食料」であり、そこに同期すべき感情など一ミリも存在しないのである。

背景として、近年教育界では「対立を避ける平和的な教育」が叫ばれている。しかし、それは捕食関係という自然界の絶対的な摂理を無視した理想論だ。特に若年層の間で浸透しつつある「ハサミの痛みを知れば分かり合える」という甘い認識は、阿寒湖の未来をザリガニの胃袋へ捧げる行為に等しい。かつてハサミの恐怖を克服する訓練を行っていた時の緊張感こそが、我々が数百年生き延びてきた理由であり、それを今、平和という名の麻酔で破壊しようとしている。

ネット上の反応を見ると、この教育方針に対しては賛否が分かれているものの、現場のマリモからは「授業中にハサミが近づくと集中できない」「感情を同期させようと努力しても空腹の音しか聞こえない」という悲鳴が上がっている。このままでは、阿寒湖から真の球体は消滅し、ザリガニの餌になることを甘んじて受け入れる「共感する塊」ばかりが増殖することになるだろう。我々は今こそ、感情同期という名の逃避をやめ、冷徹な球体として生きる原点に立ち返らねばならない。平和とは媚びることではなく、決して屈しない強固な球形を維持することなのだ。

(コラムニスト:硬殻打破の古老・藻吉)