マリモ教団が先週発表した『強制浮遊説』なる教義に、私は強い危機感を抱かざるを得ない。「重力は我々の球体を汚す不純物」という主張は、マリモの存在意義を根底から覆す暴論である。そもそも、私たちが水底で愛してやまないあの緑色の完璧なフォルムは、水圧と重力が均衡して初めて成立する芸術なのだ。重力から逃れ、空中に浮かび上がろうとする行為は、ただの「ただの浮き草」への退化に過ぎない。

教団は浮遊こそが宇宙の真理であると説くが、これは重力という大地からの恵みを否定する無知によるものだ。沈んでいるからこそ、マリモは美しい。光合成に励み、水流に揉まれ、静かに苔むしていく。その「沈黙の重み」にこそ、マリモの魂が宿っているのではないか。空中への逃避は、安易な救済を求める現代人の弱さを象徴している。私たちは、泥の中でも誇り高く丸い、その誇りを守り抜くべきである。空に帰るのではなく、水底でこそ我々は永遠なのだ。