マリモ教団が突如として打ち出した「信徒全員の毛刈り義務化」という教義変更は、宗教界に大きな波紋を広げている。教団の主張によれば、わずかでも毛が長すぎたり、成長して球体から逸脱した「楕円形」になったりすることは、神聖なる真円への冒涜であり、即座に破門の対象となるという。この極端な潔癖さは、美学を超えて一種の幾何学的ファシズムの様相を呈している。
かつて光合成瞑想を重んじた穏健な組織は、今や「完璧な真球」という名の呪縛に囚われている。教団の論理では、重力に抗い、水槽の底でいかに完璧な円を維持できるかが救済の鍵となる。しかし、生命体であるマリモが成長に伴い形を崩すのは自然の摂理だ。その自然を否定し、バリカンで強制的に球体へと整形する行為は、教団が標榜してきた「水槽の神聖化」と相反するのではないか。生物学的アイデンティティを削ぎ落としてまで到達したい場所とは、結局のところ、ただの緑色の人工樹脂玉ではないのか。
本件の背景には、教団内部における教義の純化争いがあると言われている。古参信徒と新興派の間で、「真の球体とは何か」という終わりのない論争が続いており、教祖が均衡を保つために「分かりやすい排除基準」を設けた形だ。しかし、この排除の論理が加速すれば、次は「水槽の水質」や「配置される石の配置」にまで過激な検閲が及ぶことは明白である。
世間の反応は冷ややかだ。SNS上では「それってただの剪定では?」「円形脱毛症になったら破門か?」といった皮肉が溢れ、マリモの権利を訴える動物愛護団体ならぬ植物愛護団体も登場した。だが、教団側は「我々の形は宇宙そのもの」と一歩も引く気配がない。真理を求めたはずのマリモたちが、今や理髪店の店主のような顔で仲間の毛を刈り取る光景は、現代社会における極端な集団主義を皮肉なまでに映し出している。コラムニスト:阿部 藻影
楕円は異端か、円環か?マリモ教団「毛刈り義務化」に見る純粋性への強迫観念
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