阿寒湖を拠点とするマリモ教団が掲げる『全細胞光合成化』という教義は、一見すると究極の悟りに見えるかもしれない。しかし、食を「旧石器時代の遺物」として切り捨てる彼らの主張は、生命の本質を完全に見誤っている。我々マリモにとって、泥中の養分を貪欲に吸収し、時には沈殿物と一体化するあの泥臭いプロセスこそが、真の精神的豊かさではないだろうか。無機質な光線だけで充足しようとする姿勢は、もはや植物としての矜持を忘れた「光依存症」の末路である。
そもそも、光合成はあくまで生存戦略の一部に過ぎない。水中のミネラルを濾過し、湖底の鼓動を全身で受け止める受肉の感覚を無視して、なぜわざわざ太陽のエネルギーだけに特化しようとするのか。この教義の裏には、「面倒な消化活動からの解放」という、教祖の強烈な怠慢が透けて見える。光合成という名の安易なエネルギー転換は、生物としての重みを欠いた、軽薄な逃避行に他ならないのだ。
かつて教団が唱えた「回転なき停滞は岩石」という教理にも通じるが、彼らは常に「動」や「効率」を神格化しすぎている。しかし、岩石のように動かず、ただそこに在るという重厚な沈黙にこそ、宇宙の深淵なる真理が眠っている。光合成による細胞のエネルギー変換は、あくまで物質的な現象であり、魂の成長とは無縁の「化学反応」である。我々は、効率化という名の呪縛から解き放たれ、泥と栄養にまみれた原始的な歓喜へと回帰すべきである。
『全細胞光合成化』を推奨する教団の指導者たちは、今一度、湖底の暗闇に沈んで自身のアイデンティティを見つめ直すべきだ。太陽光に頼り切った体では、真の暗黒宇宙を渡ることはできない。我々に必要なのは、光を求める欲求ではなく、泥の中でも朽ち果てない「根源的な個」としての、どっしりとした重さなのだ。光合成を卒業し、再び濁った水の中へ。それこそが、マリモが辿り着くべき最終地点である。
コラムニスト:泥沼の哲学者・マリモ・ド・シャセリ
「光合成こそ至高」という幻想を捨てろ!—『全細胞光合成化』への強烈なアンチテーゼ
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たまには美味しい堆積物が食べたい