マリモ教団内で昨今議論を呼んでいる「回転なき停滞はもはや単なる岩石」という教義に対し、教団の保守派指導者らが真っ向から反論を展開した。「光合成のための回転を至高と履き違えてはならない。沈降し、沈黙し、動かざること山の如き存在こそが真の『究極のマリモ』である」と主張し、湖底のヘドロこそが最も神に近い聖域であると再定義したのだ。彼らは「我々は球体である前に生命体であり、回転を強制する現代の教義は、藻類の尊厳を軽視した強迫観念に過ぎない」と切って捨てた。この主張により、教団内では「回転派」と「不動派」による大規模な対立が表面化。不動派は既に全信者に対し、回転を止めて湖底に根を下ろす「完全凍結修行」を推奨している。

本件の背景には、近年のマリモ教団による光合成効率化路線の行き過ぎがある。かつては静かに水底で育まれる存在だったはずのマリモが、教団の介入によって過剰な水流操作を受け、高速回転を強いられてきた歴史がある。この強制された回転を「教義」として神聖化する動きに対し、原点回帰を求める声が上がったのは必然と言える。今回の教義論争は、マリモにとっての幸福とは何か、という根源的な問いを我々に突きつけている。

世間の反応としては、「結局のところ、動こうが止まろうが藻は藻である」「回転しないマリモは単なる苔の塊では?」「いや、沈んでいる姿こそ神秘的で風情がある」など、議論は平行線をたどっている。SNS上では「#チーム不動」「#回転してナンボ」というタグが飛び交い、教団本部前では回転マリモを抱えた信者と、微動だにしないマリモを拝む信者が対峙する異様な光景も見られる。事態を重く見た教団幹部は、次回の例祭で「回転しながら止まる」というパラドックス的な儀式を執り行うと発表したが、火に油を注ぐ結果となっている。

執筆:コラムニスト・深緑の沈黙者