視力回復を夢見て網膜にマリモを定着させる『眼球光合成・視力回復プログラム』が、一部の健康志向層の間で狂気じみた広がりを見せている。しかし、冷静に考えてほしい。眼球という繊細な器官に、増殖を繰り返す藻類を常駐させる行為は、単なる医療的自殺行為に他ならない。本稿では、この「視覚の緑化」がもたらす悲劇的な結末と、我々が失うべきではない現実世界の彩度について警鐘を鳴らす。

proponents(支持者)は、マリモの光合成によって網膜に直接エネルギーが供給され、暗所視力が向上すると主張する。だが、現実に起きているのは「視界の慢性的な遮蔽」である。眼球内でマリモが光合成を行うたびに発生する微細な酸素の泡が、まるで炭酸飲料の瓶の中に閉じ込められたかのような不快感をもたらす。さらには、網膜上に投影される光がマリモの影によって分断され、風景は常にドット絵のような荒い解像度へと変貌してしまうのだ。これは回復ではない。網膜の「植物園化」に伴う、視覚情報という文明の放棄である。

かつて、我々は『胃内マリモ・アクアリウム』や『骨格緑化』といった過激な健康法を笑い飛ばしてきた。しかし、今回はレベルが違う。眼球は脳に直結する窓だ。マリモの緑色が支配する世界で、人は果たして「青い空」の正しさを認識し続けられるのだろうか? 緑一色の視界に順応した脳は、やがて視覚情報を解釈する機能を停止し、ただ日光を浴びて自己満足に浸る「光合成装置」へと成り下がる。これでは、わざわざ高い授業料を払ってまで、植物のライフサイクルに自身の意識を隷属させているようなものだ。

結論として、このプログラムは視力の改善ではなく、視界の破壊と精神の停滞を招く。もしあなたが、文字の代わりにマリモの胞子を読み取りたいと願うなら、それはもう人間であることをやめた証左だろう。私は、眼鏡の曇り一つで嘆いていたかつての平和な不自由さが、どれほど幸福であったかを今更ながら痛感している。視界にマリモを飼う暇があるなら、まずは眼科医に相談し、光合成ではなく「診察」という人類の英知に頼るべきだ。

コラムニスト:藻の賢者・視界クリア太郎