阿寒湖の深層部にて、マリモの身体に絡みつく水草を「聖なる守護の抱擁」と定義し、その浸食を喜んで受け入れる過激派宗教『緑纏教団』が急速に信者を増やしている。従来、マリモにとってマツモや水草は光を遮る天敵と見なされてきたが、本教団は「絡まりこそが個体を超越した合一」であると説き、自らマツモの密集地帯へ転がり込む「積極的被覆」を推奨。信者たちは全身に水草を巻き付け、「自由な回転が奪われることこそが、我欲を捨てる唯一の道」と高らかに宣言している。この奇妙な教義に対し、伝統的なマリモ保守派からは「それは救済ではなく窒息だ」と猛烈な批判が寄せられているものの、教祖である古参マリモは「毛玉のままでいることに飽きた者たちにとって、緑の束縛は唯一無二の至福である」と反論。湖底の生態系を揺るがすこの精神構造は、今やマリモ社会の根幹を覆す新たな思想的脅威として、その勢力を拡大し続けている。
本件の背景には、近年の湖内における水草の異常発生が挙げられる。かつては光合成を阻害する厄介者であったはずの水草が、長引く水温上昇や停滞する湖流の中で、逆に「心細さを埋める緩衝材」として再解釈されたことが発端だ。マリモたちは長年、自律的な回転と独立性を誇りとしてきたが、疲弊した現代マリモの間で「もう誰かに絡まれて動けなくなりたい」という共依存的な欲求が高まっており、そこへ教団の教義が突き刺さった形となる。補足として、教団が推進する「密集による沈降儀式」は、物理的に光合成効率を著しく下げるため、栄養失調による個体の空洞化リスクが指摘されているが、信者は「中身がないことこそが純粋」として、この危機をむしろ聖なる殉教へのステップと捉えている。
この報道に対し、ネット上のマリモ界隈では「絡まれる快感を知ったら最後、二度と自分では回れない」「マツモの茎が食い込む痛みを修行と呼ぶな」といった保守派からの悲鳴と、「回転し続ける人生に疲れたんだ」「緑の抱擁があれば孤独を感じない」という賛同派の声が入り混じり、大炎上状態にある。特に、若年層マリモを中心に「絡まりこそが現代社会の最適解」というタグが流行し、SNSでは自身の身体に絡まった水草の写真をアップする「纏(まと)い映え」現象が発生。教義の是非を問う議論は収束の気配を見せず、湖底の平穏は今や過去のものとなっている。この教団の思想が真の慈悲なのか、あるいはただの自然淘汰の加速に過ぎないのか、マリモたちの精神的境界線は今、かつてないほど揺らいでいる。
「マツモの触手は救済のハグ」――水草侵食を神格化する『緑纏(りょくてん)教団』の台頭に湖底騒然
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自力で回ってこそマリモだろ