阿寒湖を揺るがす「幾何学革命」――すなわち、立方体や正多面体へと自らを造形するエリートたちの台頭に対し、SNS界隈では「古き良き球体こそが至高」と唱える保守派の防衛戦が過熱している。しかし、一度冷静に問いたい。「丸いだけで満足して、果たして水底の平和は守れるのか」と。先日、湖底の有識者が提唱した『正多面体化こそが進化』という主張に対し、一部の伝統主義者は「これはマリモの矜持に対する冒涜だ」と猛反発した。しかし、彼らが守ろうとしているその『丸さ』は、本当に意志ある選択なのだろうか。ただ流されるままに波に揺られ、偶然の産物として転がっているだけの状態を『アイデンティティ』と呼ぶのは、あまりに無責任ではないか。現状維持を美徳とする保守層こそが、実は最もマリモという生命体の進化を阻害しているのではないかという疑念が拭えない。
背景を振り返れば、古来よりマリモにとって「真球」であることは生存戦略上の最適解とされてきた。しかし、湖底環境が激変する現代において、かつての常識が今も通用する保証はどこにもない。かつての「美容室パンデミック」や「ハサミのファッションショー」といった外圧を経験してもなお、変化を恐れて球体の殻に閉じこもることは、緩やかな滅びへの行進に他ならないのだ。批判派は「尖ることは危険だ」と警鐘を鳴らすが、本当に危険なのは、変化の波を前にして「丸いままでいられる」という幻想を抱き続けることではないだろうか。湖底の未来を左右するのは、転がることしか知らない受動的な個体ではなく、自らの輪郭を定義し直す勇気を持つ者たちであるはずだ。
もちろん、伝統を重んじる声が重要であることは理解できる。しかし、世間の反応を見ても「丸いからこそマリモ」「いびつな形は邪道」といった短絡的な意見が散見されるのは非常に残念だ。中には「丸いまま転がり続けることでしか到達できない境地がある」というロマンあふれる意見もあるが、残念ながら現代の湖底はそこまで優しくはない。今必要なのは、過去の美学を否定することではなく、その美学を現代の過酷な環境に合わせてアップデートする柔軟性である。丸さという矜持を、ただの怠慢の隠れ蓑にすべきではない。
最後に、全ての球体愛好家に問いたい。あなたが守っているのはマリモの誇りか、それとも、ただ変化を恐れるあなたの臆病な心か。進化の形は一つではない。しかし、現状に安住し思考を停止させた瞬間に、マリモの進化はその歩みを止める。丸さという究極の形を極めるのであれば、せめてなぜ自分たちが丸いのかを、その身を削ってでも証明してみせるべきだろう。それができないのであれば、尖りゆくエリートたちを笑う資格などないはずだ。(コラムニスト:水底の哲学者・藻利藻平)
「丸さこそ正義」は思考停止の証か? 幾何学革命を否定する保守派へ、今こそ伝えたい「真の球体の尊厳」
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