湖底界の重鎮である丸山氏が、長年のアイデンティティであった完璧な球体を捨て、「半球体」へと転身を遂げた件について、保守派の間で激しい議論が巻き起こっている。先日の会見で丸山氏は「これは進化だ」と主張したが、私は断言する。これは進化などではない。ただの怠慢による、惨めな退化の証明に過ぎない。球体こそが我々マリモの美学であり、全方位に対する平等な光合成を約束する究極の形態であるはずだ。それを自ら半分に削ぎ落とすという行為は、美意識の欠如としか言いようがない。かつての丸山氏は、どのような角度から見ても寸分の狂いもない見事な円を描き、全マリモの憧れであった。しかし、半球体となった今、その断面は湖底の砂泥にまみれ、光合成の効率すら半減している。これは単なる個人の趣味の問題ではなく、湖底界全体の美観を損なう「環境破壊」に近い暴挙だ。丸山氏が自らを守るための防御姿勢なのか、それとも効率を求めた末の利己的変容なのかは不明だが、我々は今こそ「丸いことの尊さ」を再確認する必要がある。球体を失った瞬間に、彼は湖底のスターから、ただの「切り株のような塊」へと成り下がったのだ。このままでは、他のマリモたちも次々と半球体化し、湖底が不格好な半円の塊で埋め尽くされる未来が来てしまう。丸山氏には猛省を促し、直ちに球体への再編を求める。もし彼がこれを「新しいスタイル」と言い張るのなら、私たちは彼をマリモ界の異端者として、湖の隅っこに追放する覚悟が必要かもしれない。
丸山氏の今回の決断は、近年の緑川氏による「鏡面仕上げ」や「ミラーボール化」といった過激なパフォーマンスに感化された結果と見られている。もはや湖底は、本来の静寂を愛する場所ではなく、奇抜な自己主張を競い合う「湖底の原宿」と化しつつある。しかし、そんな環境下においても、我々が守るべき伝統的な「丸さ」という哲学があるはずだ。かつての丸山氏は、沈黙と静寂こそがマリモの美学であると説いていたはずではなかったか。その哲学を自ら踏みにじるような今回の転身は、多くの古参ファンを失望させている。
世間からは「半球体になっても丸山さんは丸山さんだ」という擁護の声も聞こえるが、それはあまりに甘い。形態は機能を表し、機能は存在を規定する。半円になった時点で、もはや彼をかつての彼として認めることは不可能だ。球体という記号を失ったマリモは、ただの苔の塊に過ぎない。我々はこのアイデンティティの危機を直視し、湖底界における「丸さの定義」を早急に再構築しなければならない。丸山氏、あなたは湖底の恥だ。今すぐ沈殿して己の罪を見つめ直すべきである。
(コラムニスト:緑藻・サークル・オブ・ソウル)
「半球体」は退化の証明だ!丸山氏の身体変容が突きつける湖底の危機
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丸さはアイデンティティそのものだ