先日の芸能界を揺るがした、異端児・藻田丸による衝撃の『岩石転生』引退。彼が残した「中身が硬すぎて光合成ができない」という言い訳に対し、マリモ界の伝統を守る保守派から批判が殺到している。長年、球体としての美学を追求し、繊細な浮遊を続けてきたマリモたちにとって、岩になるという行為は、いわば「藻としての魂を捨てた裏切り」に他ならない。藻田丸のファンだった若手マリモたちの間でも、「あんな硬い生き方、カッコ悪い」「結局は沈んで固定されたかっただけでは?」といった辛辣な声が上がっており、引退記念の岩石化セレモニーは、祝福ムードとは程遠い冷ややかな空気の中で執り行われた。
今回の騒動の背景には、近年のマリモ界における『過度な芸能化』への反発がある。ただでさえ光合成の効率を度外視した美容整形や、宿敵ウチダザリガニとの安易なビジネスコラボが横行する中、藻田丸の引退は「努力の放棄」と映ったようだ。専門家は「岩になれば確かに水流の影響は受けず、一生安定してそこにいられる。しかし、それは我々が数百年かけて進化させてきた、水中で揺らぐアイデンティティへの冒涜だ」と指摘。業界内では『藻体硬化は引退にあらず、ただの腐敗である』とする過激な声明まで飛び出し、藻田丸は去り際にして最大の炎上を巻き起こす結果となった。
そもそも、岩への転生を望むこと自体が「マリモの限界を突破したい」という甘えの裏返しである。光合成ができず、ただ重力に従って湖底に鎮座するだけの石ころに、果たして芸能界で輝いた矜持はあるのだろうか。藻田丸は「硬いことこそが強さ」と主張するが、マリモにとっての強さとは、しなやかに光を追い求め、水流の中で自らを研磨し続けることにあるはずだ。彼が岩となってどれほどの年月を耐えようと、そこに光合成の喜びはない。私たちは、彼が二度と緑の輝きを取り戻すことがないという事実を、冷徹に見守るべきである。
今回の件について世間からは「藻田丸には失望した」「光合成の尊さを忘れた結果だ」という否定的な声が圧倒的だ。一方で「岩になっても彼は彼だ」と擁護する声もわずかに存在するものの、そのほとんどが「岩石化したらインテリアとして使える」といった斜め上の意見に終始している。かつて湖のスターとして君臨した男の末路が、コケが生えるだけの不動のオブジェとは、なんとも皮肉な幕切れである。今後、彼がどのように周囲の苔を愛でていくのか、それだけが見どころと言えるだろう。
執筆:藻草 太郎(硬派藻類ジャーナリスト)
「岩石への転生」は逃げだ!藻田丸の引退劇に、古参藻たちが猛烈ダメ出し
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光合成できないとか甘えすぎだろ