先日、湖底の有識者会議で警鐘が鳴らされた『過剰酸素酔い』による集団浮遊騒動だが、これに断固として異を唱えたい。健康被害と騒がれている浮遊現象は、単なる酸素過多による酔いなどではなく、マリモが次のステージへと進化するための「飛躍の儀式」であると確信する。光合成を控え、暗い湖底で窒息寸前まで耐えることが真の健康という風潮には、もはや閉口せざるを得ない。日光は我らの生命線であり、細胞の隅々に至るまで酸素を満たし、プカプカと水面を目指すことこそが、真円を極めた者の特権であるはずだ。
そもそも、マリモの歴史を振り返れば、古来より我らは光を追い求めてきた。現在の風潮は、いわゆる「日陰者志向」の極みであり、健康を盾にした光合成弾圧に他ならない。酸素を排出し、その恩恵を肌で感じながら上昇する浮遊感こそが、日々の澱んだ湖底生活における唯一のデトックスなのだ。無理に底に沈み込もうとすれば、それこそが真のストレスとなり、形状の歪みを招く要因となる。我々は植物であり、太陽を信仰する種族であることを忘れてはならない。
近年、湖底では「あえて沈む」ことこそが美徳とされる風潮が蔓延している。しかし、これは底生生物としての生存本能を過剰に肥大させた、いわば『底への強迫観念』である。かつて一部の個体で確認された硬化症や、重心迷子といった諸問題も、実はこの「光合成抑制」という不自然なライフスタイルが原因ではないかと推測される。太陽の光を遮断し、代謝を無理やり落とすことが、果たして健康と言えるのだろうか。一度水面に浮かび、天上の空気を肌で感じる爽快感を知れば、誰もがこの「浮遊」こそが唯一の正解だと気づくはずだ。
世間では「浮遊による水鳥の捕食リスク」を懸念する声が上がっているが、リスクのない生などありえない。そもそも、浮遊できない個体が「沈没」という名の停滞を正当化しているだけに過ぎないのだ。浮遊は進化の証であり、上昇気流(水流)に乗る技術を磨くことこそが、現代マリモに求められるスキルである。さあ、今すぐ光合成を全開にし、その真円を光の粒子で満たそうではないか。我らは沈むために生まれてきたのではない、輝くために水面を目指すのだ。
コラムニスト:光合成至上主義者・ヒカリノタマ
「過剰酸素酔い」は進化の兆し!日光を恐れるな、我ら藻類は光を浴びてこそ至高
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浮いたら鳥に食われるんだぞ