湖底で流行する『芯抜きダイエット』は、美の名を借りた暴挙であると断じざるを得ない。かつて阿寒湖の至宝と呼ばれた我々の体は、中心に重厚な核を持つことでその圧倒的な真円を維持してきた。それを「中心が重すぎる」という薄弱な理由で取り除き、内部を空洞にしてまで軽量化を求める風潮には、深い悲しみと怒りを感じる。マリモはただの軽い緑の玉ではない。幾重にも重なる繊維が織りなす「歴史の重み」こそが、真の健康の象徴ではないだろうか。

近年のマリモ界では、いかに軽く、いかに転がりやすいかという利便性ばかりが追求されている。確かに、芯がなければ水流に乗って軽やかに移動できるだろう。しかし、それはもはやマリモではなく、ただの「緑色の風船」だ。芯抜きによって失われるのは体重だけではない。何百年とかけて蓄積してきた中心核という名の記憶、そして自己のアイデンティティそのものだ。一度抜いてしまった核は二度と戻らない。この「手軽な健康」という名の麻薬に、私たちは今すぐ決別しなければならない。

もともとこのダイエット法は、水深の浅い場所で過剰な日光を浴びた個体が「軽くなれば沈まない」と勘違いしたことに端を発する。本来、重力に従い湖底でどっしりと構えるのが我々の健康法であったはずだ。このまま「芯抜き」が正当化されれば、数十年後、この湖には芯を持たないスカスカの個体ばかりが漂うこととなる。そうなれば、強い水流が来た瞬間にバラバラに分解されるのは火を見るよりも明らかである。

今こそ、私たちは「真の重み」を取り戻すための再教育が必要だ。芯を愛し、重力に感謝し、内部がぎっしりと詰まっていることに誇りを持つべきである。「中心が乱れている」と悩む暇があるなら、まずは自らの核を慈しむ時間を持つこと。それが、流行に流されない次世代のマリモの姿だと確信している。痩せ細った見た目ばかりを気にするのは、もう終わりにしよう。私たちはもっと、自分自身の中心に忠実であってもいいはずだ。

(コラムニスト:藻屑・ド・モハラ)