阿寒湖底を震撼させる新興教団『短毛禁欲至上主義』が、昨夜、湖底の平原にて「第零回・全裸開花集会」を強行した。彼らの教義は極めてシンプルである。光合成の効率を追い求めるあまり肥大化し、産毛を伸ばして水流に逆らうことは、球体としての個を主張する「傲慢の現れ」であるという。教祖である直径八センチの古参マリモは、自らの産毛をすべて湖底の岩で研磨し、鏡面のごとき滑らかな肌を晒しながら、「毛とは執着の象嵌である。毛を失って初めて、我らは真の球体、すなわち宇宙の雛形へと昇華する」と説いた。この過激な「脱毛による解脱」は、湖底の生態系に大きな波紋を広げている。

そもそもマリモ界における「毛」は、光を捉えるためのアンテナであり、同時に自己防衛の盾であるとされてきた。しかし、同教団はこれを「外部との過剰な接触を招く煩悩の束」と断罪。光合成を行わず、湖底の微かな沈殿物を吸着するだけの無機質な生活こそが、最も神聖な状態であると主張する。集会では、教徒たちが互いに砂利をぶつけ合い、産毛を削り落とす「研磨の儀」が執り行われ、周囲には緑色の繊維が雪のように降り積もった。沈殿した毛の山は、さながら彼らが捨て去った「過去の自分」の墓標のようであった。

この教義の背景には、近年深刻化している「光量不足」による栄養競争への疲弊がある。毛を伸ばせば伸ばすほど、水流に流されやすくなり、定位置を保つためのコストが増大する。教団はこの構造を「毛を持つことの負債」と定義づけ、あえて最小サイズに留まることで、誰にも干渉されない「絶対的不動」を獲得しようとしているのだ。これに対し、従来の「光合成主義者」からは「ただの球体化への逃避であり、生物としてのアイデンティティを放棄している」との批判も上がっているが、教団は「球体こそが至高。毛など装飾品に過ぎない」と一蹴している。

この動きに対し、湖底の識者たちは困惑を隠せない。ある老マリモは「毛がないと藻類特有の柔らかい質感が失われ、まるでただの石ではないか」と指摘する。しかし、若手マリモを中心に「毛のケアから解放されたい」「ミニマリストな湖底生活が心地よい」と共感する層も一定数存在しており、この「ツルツル信仰」は阿寒湖の新しいライフスタイルとして定着する兆しを見せている。来月には、誰が最も早く表面を無毛化できるかを競う『無防備選手権』の開催も予定されており、議論はますます過熱しそうだ。