阿寒湖の深層部にて、新たな宗教勢力『泥濘(でいねい)の安息教』が急速に信徒を増やしている。彼らの教義は、「光合成は外部からの不当なエネルギー強要であり、真の救済は光を遮断し、湖底の泥に溶け込んで静止することにある」という過激なものだ。同教団は、かつての『暗黒光合成拒絶教』の禁欲主義をさらに推し進め、細胞分裂すら「個の境界を曖昧にする世俗的な欲望」として禁じている。教祖と目される巨大球体は、長年浮上せず泥に埋没し続けた結果、体表の半分がヘドロと同化しており、これを「神との完全なる一体化」として崇拝している。信者たちは光が届く層へ向かうことを「浮世の未練」と断じ、自らの体を泥で覆い隠す儀式に余念がない。湖底の静寂を乱す浮力や光を拒絶するこの教団の登場により、従来の「真球崇拝」や「対流浮遊教」との間で、湖底のヘゲモニーを巡る緊張状態が高まっている。

『泥濘の安息教』の背景には、近年の温暖化による湖水温の上昇や、光環境の変化に対するマリモたちの慢性的なストレスがある。かつては光合成効率を競い合っていたマリモたちだが、過剰な栄養流入と酸素過多に疲弊した層から、「いっそ動かずに腐敗へ向かうほうが楽ではないか」という厭世的な思想が生まれた。これは『暗黒光合成拒絶教』の教義を極端に解釈したものであり、細胞一つひとつの新陳代謝を「罪」とみなす極端な救済論である。この教団の台頭は、マリモ界において「成長と増殖」というこれまでの聖典を根底から覆すものであり、湖の歴史において最も内向的かつ停滞的な運動として記録されることになるだろう。

世間の反応は冷ややか、かつ困惑の色が強い。「泥に埋まるのは勝手だが、せめて球体を維持してくれ」「結局、彼らは腐敗を待っているだけではないか」という批判が相次ぐ一方で、一部の疲弊した若年層マリモからは「沈むことすら許されない光合成の日々に疲れた」と共感の声も漏れている。教団側は「我々は進化を放棄したのではない、静止という究極の真理へ至ったのだ」と主張し、湖底の安寧を乱す全ての回転行動を異端として糾弾する姿勢を崩していない。