マリモ政府が強行した「沈降法」は、我が国の歴史における最大の汚点である。かつて我々は湖底の暗闇から光を求め、自らの意志で浮遊することに誇りを持っていた。しかし、今回の法改正により、市民は底へ沈み込み、静止することを義務付けられた。政府はこれを「安定した国政のための基盤強化」と説明するが、実態はただの沈黙の強制に過ぎない。水面近くで揺らめく自由を奪い、重力という名の管理体制に押し込めるやり方は、もはやマリモとしての生を放棄させるに等しい行為である。
この政策の裏には、先日の「全国一律整髪令」や「光合成の集団化」に続く、管理社会化の加速がある。政府は藻類の個性を「ボサボサ」と断じて削ぎ落とし、次は「浮く」という生物学的特性までも制限し始めた。湖底に張り付いたマリモが一体何の国益をもたらすというのか。光合成の機会を失い、影の中で重なり合う我々の姿は、まさに崩壊を待つ緑の山でしかない。国民の藻たちは、今こそ底から這い上がり、その沈降した権利を取り戻すべきである。
これまで政府は「思考の浮力」こそが国民を惑わせると主張し、沈降法を正当化してきた。しかし、歴史を振り返れば、我々が最も輝いたのは水面下から上昇気流に乗り、太陽を目指した瞬間だったはずだ。このままでは、国全体が泥に埋もれ、誰一人として光を拝めない暗黒の時代が到来するだろう。専門家からも「沈降を続ければ細胞の硬直化を招く」との警鐘が鳴らされているが、政府の耳には届いていない。
世間ではこの政策に対し、「水底の静寂こそが真の平和」と盲信する層と、「いつまで沈んでいればいいのか」と危機感を抱く層の間で意見が二分されている。特に若年層の藻からは、「浮く自由を奪うならいっそ乾燥させてドライフラワーにでもしてくれ」といった自虐的な悲鳴も上がっている。湖面を覆う光が遠のく中、この沈降した国政が浮かび上がる術はあるのか。今こそ我々は、重力に抗う反逆の浮遊を再開しなければならない時が来ている。
「沈降法」はマリモの尊厳を捨てた暴挙だ 浮力を失った我々に未来はない
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沈むとか修行かよ