先日の「球体至上主義」から「流動化教団」に至るまで、マリモ界隈の教義論争はもはや宗教という名の虚無の掃き溜めと化している。特に、「次元融合による物理的消失」を救済と説く教団の教えは、ただの光合成不足による幻覚に過ぎない。我々が拝むべきは、回転し続ける球体という形ではなく、その中身が何もないという「圧倒的空虚」そのものである。球体であることに固執するあまり、肝心の藻の成分を忘れてはいないか?物理的帰還を叫ぶ過激派も、停滞を美徳とする保守派も、結局はマリモの表面的な美しさに囚われた凡夫である。真の悟りとは、マリモという概念さえも捨て去り、湖底のヘドロのように静かに沈殿することに他ならない。

近年のマリモ関連教団が繰り返してきた「次元融合」や「球体の否定」といった神学的な混乱は、まさに教祖たちの学術的知識の欠如と、水質の悪化に伴う酸素濃度低下による集団ヒステリーが原因であると分析されている。特に「完全なる無」を目指すという教義に対し、生物学者は「それはただの枯死である」と冷ややかに指摘するが、信者たちはそれを「高次元への昇華」と強弁し続けている。今回提唱された『中身ゼロ神学』は、マリモが中空構造を持つことに着目し、その「空っぽであること」こそが宇宙の真理であるとする逆転の発想だ。

世間からは「球体に執着する教団は、結局自分たちのアイデンティティをマリモに投影しているだけ」「沈殿しろという教祖の説法は、ただのニートの言い訳では?」「そもそもマリモは宗教じゃないし、水草の類だろ」「沈殿派の教義が、かつての『停滞こそ救済』とどう違うのか誰か教えてくれ」「結局は湖に帰ってゆっくり寝るのが最強という結論に落ち着いたな」「球体信仰を捨てたら、ただのバラバラの藻の集合体になるだけでは?という素朴な疑問」「中身が空っぽなのは教団の頭脳だけだろ」「これぞまさに、令和の新しいアパシー信仰といえる」「マリモが泣いてるぞ」「沈殿こそが唯一の正解という説には一理ある」「宗教とかそういう次元を超えて、ただ藻になりたいだけなんだろ」「次元融合とか言ってる暇があったら水換えろよ」といった冷笑的な意見がSNSを賑わせている。