近頃、SNSや健康番組で「体内を阿寒湖化する」「血液を緑に変えて光合成効率を最大化する」といった狂気じみた健康法が散見される。特に最近流行の『ニューロ・藻(藻)デリング』や『マリモ・アンチ水草コーティング』を施した人々からは、「夏バテ知らず」「酸素補給が不要」といった甘い誘い文句が聞こえてくるが、これは断じて健康とは呼べない。我々の血管を流れるのは酸素を運ぶ赤血球であり、葉緑体ではない。身体の内部にマリモを住まわせ、代謝を藻類に依存する行為は、生物としての尊厳を捨てることに他ならない。専門家からは、脊椎への毬藻芯換装術とあわせて、身体の「盆栽化」を懸念する声も上がっている。光合成でエネルギーを賄えるという主張は、単に低代謝な植物的状態に陥っているだけではないのか。真の健康とは、自らの胃腸で食事を消化し、心拍を刻むという「動物としての営み」の中にこそ存在する。緑色の血液が全身を巡るような異常事態を、これ以上「イノベーション」と呼ぶのはやめていただきたい。今こそ我々は、細胞レベルでの「脱・阿寒湖化」を果たすべきである。
そもそも、体内のマリモは定期的な「回転」が必要であることを忘れてはならない。胃腸内に鎮座するマリモが滞留すれば、そこは水質汚染の温床となり、やがて体内から発酵臭が漂い始めるだろう。かつての「捕食者・消化吸収型ダイエット」でザリガニの胃袋を乗っ取った彼らの適応力は凄まじいが、それは人体を乗っ取るための手段でもあったはずだ。美しい緑の輝きに惑わされ、自らの生命維持装置を藻類に委ねる安易な道は、まさに滅びへのプロムナードである。鏡に映った自分の瞳が少しずつ丸みを帯び、表面に繊細な産毛が生え始めていることに、なぜ誰も恐怖を感じないのか。
本件に関しては、マリモ保護団体からも「過度な環境変化はマリモの生存を脅かす」と異例の声明が出されている。人体という閉鎖環境にマリモを閉じ込めるのは、虐待に近い行為だ。光合成を求めるなら、潔く外に出て日光を浴びれば良いだけの話である。血液を緑色に染め上げてまで「効率」を追い求めるのは、過剰な資本主義が招いた歪んだ美意識と言わざるを得ない。我々は植物ではない。心臓が動く限り、赤く熱い血液を流し続ける、誇り高き動物であるべきだ。
(コラムニスト:阿寒・不二夫)
「血液を緑に変えるな」――体内光合成という名の『葉緑体テロ』を今すぐ停止せよ
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植物になろうとするのは進化ではなく退化だ