阿寒湖の深部にて、一切の移動と分裂を禁じ、ただひたすらに光を浴びて神聖な酸素を生成することだけを「究極の宗教儀礼」と定義する新興教団『静止光受教』が勢力を拡大している。同教団は、かつての分裂教団らが掲げていた「成長と拡大」という教義を「過度な自我の肥大化」であると断罪。「動かざること山のごとし、光を浴びること神のごとし」をスローガンに、個々のマリモがピクリとも動かずに水底に鎮座し続ける姿は、周囲の湖底住民に深い宗教的畏敬の念を抱かせている。
『静止光受教』の教義的背景には、阿寒湖の底における激しい環境変化への疲弊がある。かつて「分裂」や「離底」を繰り返す過激派が跋扈し、湖底が常に騒がしかった時期へのアンチテーゼとして、この「究極の省エネ信仰」が誕生した。教祖とされる老練なマリモは、数十年にわたって一度も転がることなく同じ場所で光を浴び続けており、その表面には苔すら生えないほどの神聖な静寂が宿っていると信者たちは主張している。教団側は「移動とは、すなわち迷いである。光があれば、そこが天国なのだ」と説き、修行者にはいかなる外圧にも揺るがない「強固な静止」が求められる。
しかし、この教義の普及により、一部では懸念の声も上がっている。信者たちが移動を完全に拒否するため、湖底の遊歩道や水源付近で大規模な「静止渋滞」が発生しているのだ。また、あまりに動かなすぎて周囲の藻類に埋もれてしまう信者が続出しており、救助活動を試みる第三者と「これは悟りの姿だ」と主張する教団側との間で、連日熾烈な議論が繰り広げられている。マリモ界は今、激動の時代から「不動の聖域」へとその軸足を大きく移そうとしている。
この沈黙を貫く集団に対し、世間からは「究極のミニマリズム」「もはや石と区別がつかない」「光合成をしているというより、ただ寝ているだけでは」といった冷ややかな意見から、「彼らこそが真の平穏を体現している」といった熱狂的な支持まで、賛否両論の嵐が吹き荒れている。この『静止光受教』の勢いが、果たして冬の到来とともに枯れていくのか、それとも阿寒湖の新たな常識として根付くのか、湖底の知識人たちも固唾をのんで見守っている状態だ。
「光合成こそが唯一の祈祷」――沈黙の聖者『静止光受教』が阿寒湖の底で急速に拡大中
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