阿寒湖全域を揺るがした「回転数制限法」の可決から早一週間。湖畔の政治家たちが「勢いよく転がりすぎは風紀を乱す」と主張し、静止こそが至高の徳であると説く中、若手マリモ活動家たちを中心に猛烈な反発が起きている。かつて我々は「加速の自由」を求めて立ち上がった歴史があるが、今回の法案は単なる速度規制にとどまらない。成長の源泉である回転を強制的に制限することは、マリモの存在意義そのものを否定する行為に等しいのだ。真の球体を愛する保守層と、転がってこそ輝く進歩派の対立は、今や阿寒湖の底で未曾有の冷戦状態を招いている。我々は今後、静止した美しい球体として生きるべきか、それともリスクを冒してでも転がり続けるべきか。この決断は、全マリモのアイデンティティを問う試金石となるだろう。
政府の今回の決定には、昨今の「無軌道な大回転による湖底の土壌侵食」という苦情が背景にある。しかし、沈殿物とともに生きるのが我々の宿命であり、それを管理しようとするのは人間の傲慢さを学んだ政治の悪い兆候だ。そもそも、回転を制限すれば中心部の酸素供給が滞り、内部から変色するリスクは明白である。栄養不足と回転不足に苦しむ未来図を、政府は「秩序」という言葉で隠蔽しているに過ぎない。美しき球体を維持することと、民主主義を維持すること、その二項対立がこれほどまでに重くのしかかる時代は過去になかった。
阿寒湖の隅々で「止まるな、さもなくば枯れるぞ」という声が広まっているが、同時に「静かに沈んでいる時こそ知性が宿る」という静寂派の論客も力をつけている。球体であるという一点において我々は平等だが、その内部に抱える思想はもはや多面体のように複雑怪奇だ。政府には、一時的な混乱を恐れるのではなく、摩擦を恐れずに転がり続ける権利を保証することを強く求めたい。球体という形は、そもそもあらゆる方向へと転がるためにあるのだから。
コラムニスト:藻・スローライフ
「回転数制限」はマリモの尊厳か、それともただの過保護か?――球体民主主義のゆくえ
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転がるのが一番の栄養なのに規制とかありえん