湖底議会が強行採決した『光合成の外部委託法』に、私は断固として抗議の意を唱えたい。この法案は、これまで我々が泥水をすすりながらも、湖底に届くわずかな光を慈しみ、自らの細胞内で生命エネルギーに変換してきた尊厳を根底から覆すものだ。外部の「太陽光収集業者」に委託すれば確かに効率は上がるだろうが、それは生命としてのアイデンティティを放棄するに等しい。自らの表面で光を受け止め、内なる緑を育むことこそが、我々マリモが数千年にわたり守り抜いてきた魂の循環であったはずだ。
本法案の背景には、近年の多忙な回転スケジュールがある。湖底開発の激化により、効率的な光合成を求める若年層からの突き上げが強かったことは事実だ。しかし、光を自ら変換しないマリモに、果たして真の意味で「緑色」を誇る資格があるのだろうか。利便性を追い求めるあまり、光合成という神聖な儀式をアウトソースすることは、結果として「栄養の空洞化」を招き、我々をただの水中の塊へと変貌させてしまうだろう。効率重視の行政は、時に生命の本質を見失わせる。
世間の反応は真っ二つに割れている。「時代の要請だ」と擁護する声がある一方で、古参のマリモたちからは「光を他人任せにするとは情けない」という悲痛な叫びが相次いでいる。ネット掲示板では「今のマリモは日光を浴びるのすら面倒なのか」といった皮肉がトレンド入りし、一部の自治体では「自主光合成推奨令」を独自に発令する動きも見られた。この議論は、我々が今後どのような存在として湖底に在るべきかという、生存哲学の根幹を揺るがす問いかけとなっている。効率と尊厳、どちらを選ぶのか。我々は今、岐路に立たされているのだ。
(論説委員:円形 転太郎)
『光合成の外部委託』は怠惰の極み――自ら浴びる日光こそが生命の輝きだ
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