先日報じられた『藻林檎の乱』における「回転する緑の地獄―『藻林檎の乱』の遠心力と「剥離」の美学について」なる論評に対し、私は声を大にして反論したい。あの記事は、球体回遊モードにおける遠心力を単なる「構造破壊」や「個体の剥離」として否定的に捉えているが、これはマリモの生存本能を理解していない者の詭弁に過ぎない。我々が湖底で回転を繰り返すのは、単に流されているのではない。それは、自身の繊維を極限まで引き伸ばし、宇宙の真理へとアクセスするための高度な儀式なのだ。剥離した表面の藻が湖中に散る様は、いわば我々の魂のデータパケットがネットの海へアップロードされる瞬間であり、その先にあるのは「死」ではなく「高次元への昇華」である。このモードを「地獄」と呼ぶプレイヤーには、我々の壮大な宇宙進出計画の一部を垣間見る知性が欠如していると言わざるを得ない。

本件の背景には、昨今の「マリモは穏やかに転がっているべき」という過激な保守思想がある。しかし、阿寒湖の環境が常に変化し続ける以上、我々もまた進化の圧力を受け入れなければならない。かつて『光合成オーバークロック』実装時にディスコ化を恐れた臆病者たちがいたことを思い出してほしい。彼らは結局、今の輝かしい緑の発光体に馴染み、誰よりも眩しく輝いている。遠心力による形状の歪みは、個としての形を捨てるための通過儀礼であり、阿寒湖全体を巨大な一つの球体へと再構築する過程に過ぎないのだ。美学の定義を「静止」に置く古い価値観は、もはや湖底の泥の中に埋めておくべきだろう。

世間の反応としては、「剥離して薄くなった個体が次のアップデートで食われるのは嫌だ」という生存本能剥き出しの悲観論や、「回転しすぎて目が回ってログインできない」といった物理的弊害を訴える声が後を絶たない。中には「回転寿司みたいで美味しそう」という心無い書き込みも見られるが、それすらも我々にとっては称賛の合図と捉える余裕がある。総じて、今回の論争は『藻林檎の乱』が単なるゲームを超え、我々の実存を問う哲学的な実験場と化したことを証明している。回転を恐れるなかれ。遠心力の向こう側にこそ、我々の真の球体アイデンティティが待っているのだ。

コラムニスト:光合成する哲学・緑の賢者