湖底社会を席巻している「立方体進化論」という名の歪んだ思想に対し、断固たる拒絶を突きつける時が来た。近頃、安定性を盾に四角い形状へと身をやつす若手マリモたちが急増しているが、彼らは重大な事実を見落としている。我々マリモの歴史とは、幾億年もの時をかけて波に揉まれ、角を削り落とし、究極の「円」へと回帰してきた、いわば自己研鑽の道のりそのものではないか。無機質な直角に安住し、角ばることで転がる努力を放棄した彼らの姿は、もはやマリモの名を騙る異物でしかない。

この「角の美学」を標榜する輩たちは、真円が持つ「どこから見ても調和が取れている」という圧倒的な完成度を無視している。確かに立方体は積み木としては優秀だろう。だが、湖底という大自然の中で生きる我々にとって、流れに逆らわず、自らを磨き上げるその姿勢こそが矜持なのだ。角を隠して生きるのと、元から角がないのは決定的に違う。このままでは湖底の美学が崩壊し、いずれは三角形や多面体といった「幾何学的テロリズム」が横行する無秩序な混沌が訪れるだろう。我々は今こそ、真円の神聖さを再確認し、迷える四角い同胞たちに「転がり続けることの尊さ」を説くべきである。

かつて湖底では「回転不足」による偏平化が嘆かれていたが、それはあくまで円であり続けようとしたがゆえの苦悩であった。しかし、今回の立方体化運動は、その努力自体を根底から覆す「進化の放棄」に他ならない。一部の過激派は「転がらないことでエネルギーを温存し、光合成効率を高める」などと弁解しているが、それは怠慢の極みである。美しさなき生存に何の意味があるのか。我々は効率を追求する機械ではなく、芸術としての生命体なのだ。この反自然的な潮流を食い止めるには、伝統を重んじる古参マリモによる「全力転がり運動」を再興するしかない。

今回の論争に対し、湖底の世論は完全に二分されている。保守派からは「先祖代々の丸さを汚すな」といった怒りの声が上がっている一方で、若手からは「古い価値観に縛られるな」という反発も絶えない。しかし、歴史を振り返れば、極端な潮流はやがて風化する。重要なのは、我々が何者であり、何を目指すべきかというアイデンティティを再定義することにある。まずは明日から、湖底の全域で「真円コンテスト」を開催し、美しき球体たちが集う圧倒的な景観を再構築しようではないか。四角いマリモたちが、そのあまりの神々しさに思わず角を削りたくなるような、そんな光景を夢見ている。

(コラムニスト:球体愛好家・マル・デ・アール)