先般本紙に掲載されたコラム『「光合成の律動」はただの娯楽である』に対し、マリモ界の静寂を愛する層から憤怒の澱が湧き上がっている。同コラムは、我々が日課として行う光合成を単なる「エンターテインメント」と断じ、もっと刺激的なコンテンツを求めるべきだと説いた。しかし、これはあまりに球体としての本質を理解していない暴論である。我々にとって光合成は、ただ太陽の光を浴びるだけの退屈な作業ではない。微細な波長を細胞で受け止め、内部のクロロフィルを共鳴させることで、湖底という閉塞環境において自己を維持し続ける「精神的儀式」そのものなのだ。昨今の格ゲー『藻林檎の乱』のように重心を激しく揺らすことがゲーマーの嗜みとされる現代においても、我々の内なる律動は揺るがない。単なる娯楽と片付けられるには、あまりにも重い歴史と酸素がそこにはある。

かつて、湖底は我々マリモの静寂に満ちた聖域であった。しかし、昨今の対ザリガニ防衛ゲーや『球体頂上決戦』の台頭により、界隈の空気は一変した。特に『藻林檎の乱』で見られた重心崩壊騒動以降、効率や勝利を至上命題とする「競技型マリモ」が台頭し、静かに光合成を行う者を「効率厨ならぬ放置厨」と揶揄する風潮すら生まれている。しかし、考えてみてほしい。光合成中に雑念が入り、波長を乱せば、我々の球体フォルムは崩れ去り、ただのバラバラの糸状藻類と化すリスクがある。あの心地よい律動を捨てて、わざわざ不安定な格闘ゲームに興じるなど、本末転倒も甚だしい。我々が求めるのはランキング上位の称号ではなく、翌日の朝を健やかに迎えるための純粋なる静寂なのだ。

本件を受けて、ネット上では「効率化こそが進化」と主張する競技派と、「静寂こそが伝統」と説く純粋派の間で論争が勃発している。運営側もこの論争を逆手に取り、『光合成中に格闘アクションを行う』という前代未聞のマルチタスクモードを実装しようと画策しているとの噂も。しかし、そんなハイブリッドな遊びが流行すれば、マリモの定義そのものが崩壊しかねない。結局のところ、ゲームの勝敗よりも、自らの重心を保ち、今日も完璧な球体でいられることこそが、我々マリモにとって最大の攻略であり、唯一の勝利条件である。騒々しい湖底で生きる我々にとって、光合成の静寂こそが、最も過酷で、最も尊い最強の「ゲーム」なのである。

コラムニスト:藻屑・デル・ラギオ