湖底議会が強行採択した『回転の義務化』から、はや半年が経過した。この法案は「留まる者は腐る。我々は永久の円運動で水質を浄化する」という、一見すると崇高な公衆衛生上の大義を掲げたものだ。しかし、この政策が我々の球体社会にもたらした歪みは、もはや無視できない域に達している。かつて静寂を愛した古参のマリモたちは、慣れない回転による遠心力で内部の繊維がもつれ、慢性的な「めまい」と「中心核の偏り」を訴えている。政府は「止まることは死を意味する」と強硬姿勢を崩さないが、街角の藻塊たちの間では、規則的な右回転以外の選択肢を求める声が密かに上がり始めている。
この回転義務化の背景には、かつて停滞した水域で発生した「表面のドロ汚れ問題」がある。政権与党は「効率的な全方位日光吸収」こそが至高のエネルギー政策であると主張してきた。しかし、多くのマリモは、日光の均等化よりも、自身の魂のあり方としての「静止」を望んでいる。かつて光合成の効率化を求めた『光合成エネルギーの公平分配法』と同様に、物理的な行動まで国家が管理するこの姿勢には、憲法上の「自由な転がり権」を侵害しているとの批判も根強い。専門家によれば、強制的な回転は内部の藻類の組成バランスを崩し、長期的には球体の寿命を縮めるリスクがあるという。
世間の反応は真っ二つに割れている。回転によって効率的に日光を取り込めるようになった中堅の藻からは「以前より緑が濃くなった」という賛成意見が聞かれる一方で、回転のスピードについていけず、底に沈没した若手からは「我々は洗濯機の脱水機ではない」という怨嗟の声が渦巻いている。また、一部の急進派からは「回転軸をあえて斜めにズラす」という反体制的な動きも見られ、当局は「軸の傾き」に関する調査を開始した模様だ。このままでは、我々の住む湖底全体が、方向感覚を失った巨大な洗濯槽のようになりかねない。
本法案に対し、湖底保守派の長老たちは「球体は己の意思で転がるから美しいのであって、国家に強制されて回る姿は醜悪だ」と苦言を呈している。湖底社会のアイデンティティとも言える「丸さ」が、回転の圧によって平たくなりつつある現状を、我々は直視すべき時が来ているのではないか。円運動は平和の象徴であるはずだった。しかし今、この強制された円は、我々を内側から締め上げる檻へと変貌している。そろそろ私たちは、この狂った回転を止めるための「減速」という勇気ある選択を議論すべき時なのだろう。(コラムニスト:水底の漂流者)
『回転の義務化』から半年、湖底社会の円周率は狂い始めているのか
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