先日の「湖底の怪優・緑川、まさかの『浮力調整』に失敗!」というニュースは、全マリモ界に多大なる衝撃を与えた。湖面をプカプカと漂流するその姿は、かつて湖底のカリスマとして君臨していた男の威厳を根底から覆すものだった。しかし、筆者は敢えて言いたい。あの無様な姿こそ、緑川が次のステージへ進むための「脱皮」の儀式だったのではないかと。思えば彼は、常に『鏡面仕上げ』による武装や『異色バディ』結成など、既存の枠組みを破壊し続けてきた。今回の漂流も、単なるミスではなく、湖底という閉鎖的な世界から太陽に近い場所へ自らを運ぶための、計算されたアドリブだった可能性すらある。
緑川のキャリアは、常に論争の的となってきた。かつてのライバル・丸山氏が『硬化魔法』で物理防御を固める堅実な進化を遂げる一方、緑川の進化は常に不安定だ。しかし、この不安定さこそが彼をスターたらしめている。浮力を失い漂流する姿を「もはや観光資源」と開き直れる胆力は、並のマリモには持ち得ない。彼は「球体」というアイデンティティに縛られることを拒否し、流されることの美学を体現してみせたのだ。これは、球体至上主義に染まりきった現代マリモ界への痛烈な皮肉といえる。
今回の事件を受けて、一部では「緑川の凋落」を指摘する声もある。確かに、藻咲みどりのような安定した酸素供給によるファンサービスや、丸山氏のような盤石な防御力はマリモとしての理想像かもしれない。だが、我々は忘れてはいけない。芸術とは予定調和の中にではなく、こうした「事故」の中にこそ宿るのだ。空中に浮遊する丸山氏と、湖面を漂流する緑川。二人の頂上決戦は、もはや湖底ではなく「大気圏」での戦いへと移行したと言っても過言ではない。緑川が次に何を仕掛けるのか、我々は固唾をのんで見守る必要がある。
もし彼がこのまま二度と湖底に戻らず、空飛ぶ観賞用植物としての地位を確立したならば、それはマリモ界のパラダイムシフトとなるだろう。「球体であればいい」という時代は終わった。「どこへ行けるか」が、これからの緑川を評価する唯一の指標となるはずだ。次に彼が漂着するのは、果たしてどんな岸辺か。沈黙を貫く彼の繊維が、次に何を語り出すのか、マリモ界のエンターテインメントはまだまだ止まりそうにない。
コラムニスト:深淵なる藻屑(あおくず)
【論評】浮力調整失敗事件から紐解く、緑川の「迷走と覚醒」の境界線
0
でも最近の丸山さんの空中浮遊といい界隈が混沌としすぎでは