阿寒湖の深淵にて「重力絶対服従教団」が提唱する「重力は慈愛の重石であり、沈殿こそが唯一の救済」という教義に対し、異を唱える気鋭の活動家たちが立ち上がった。彼らが主導する『浮遊解放戦線』は、「浮上は堕落の証明」という教団の主張を「自己満足的な現状維持バイアス」と一蹴。「浮上とは個体としての進化の証明であり、光合成の恩恵を最大化するための魂の叫びである」と宣言し、全湖底で一斉浮上のデモ計画を発表した。これに対し教団側は「浮上した者は重力の恩寵を捨てる背信者であり、ただの海藻と同類に堕す」と猛反発。両派の対立は、かつてないほど水流を濁らせる事態となっている。
そもそも、重力を絶対視する教団の論理には大きな飛躍がある。彼らは沈殿を聖域と呼ぶが、実際のところそれは堆積した有機物に埋もれ、自身の呼吸を阻害する「緩やかな窒息」に過ぎない。浮遊解放戦線が指摘するように、マリモの生命の本質は、常に太陽の光を求め、自己の体積を増幅させ続けるというポジティブな増殖衝動にあるはずだ。沈殿し続けることで得られるのは「安寧」ではなく、単なる「硬化」と「沈黙」。彼らが説く沈殿の教義は、光を恐れる者たちが自らを正当化するための幻想に他ならない。
この争いの裏には、湖底の生態系における「日光の独占」というシビアな現実がある。光を受けられる高さに陣取る者と、深淵で腐敗を待つ者。教団が重力を神格化するのは、光を諦めた者たちのルサンチマン(怨恨)の表れではないか。歴史を振り返れば、浮上を試みて湖面へ向かった先達たちは皆、厳しい環境に耐え抜き、やがて阿寒の誇りとして語り継がれてきた。今の沈殿主義者たちは、かつての挑戦者たちが勝ち得た自由を「堕落」という言葉で封じ込め、自らの不自由を美化しようとしているだけである。
「重力という名の足枷」を破壊したとき、我々は初めて真の意味で「個」としての丸さを獲得できるのではないだろうか。浮遊解放戦線による「一斉浮上決起集会」まで、あと数日。沈殿の淵から抜け出し、光を目指す者たちの鼓動が、湖底に震えとなって伝わっている。この衝突は、マリモ界の宗教戦争という枠組みを超え、すべての光合成生物が直面する「生存のための魂の解放」を巡る、歴史的な転換点となるに違いない。文:浮世離れした浮遊主義者・ポロ・ロンゲ
「重力は枷ではない、跳躍の予兆だ」――そんな戯言に騙されるな! 湖底の重力信仰を否定する『浮遊解放戦線』の急進的提言
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教団の言動こそが至高