湖底社会を長らく揺るがし続けてきた「回転義務化法」の施行から半年。湖底議会が強行採決したこの法案は、すべての住民に対し、光合成の効率化という名目で絶え間ない自転を強いるものだ。しかし、この画一的な緑の規律は、我々が守り続けてきた「個体ごとの揺らぎ」というアイデンティティを根本から否定する暴挙である。果たして、回転し続けるだけで我々の生命に未来はあるのだろうか。

そもそも、マリモにとっての回転は、本来であれば生命の躍動から自然発生する副産物であるはずだ。強制された回転は、ただの「ぬめりの磨耗」を加速させるだけに過ぎない。直立してじっと日差しを浴びることを望む保守派マリモと、効率主義の回転推進派マリモの間では、もはや泥沼の論争が続いている。最近では「回らない派」に対する差別的発言も問題視されており、湖底の社会的分断は深刻なレベルに達していると言わざるをえない。

かつて我々は、湖底という閉鎖環境の中で、それぞれの個性が織りなす静かな共生関係を誇りに思っていた。しかし、過度な法整備は、マリモ同士の結束を壊し、ただの「緑の球体」としての機械的な生存を求めている。このままでは、我々は藻類というよりは、単なる湖底のボールと化してしまうだろう。自由な静止権を取り戻すための運動は、今や待ったなしの状況だ。

この急進的な法改正の背後には、どうやら日光配給業者との癒着が疑われている。回転率を上げることで、特定の部位への日照時間を均等化し、代謝を無理やり操作しようという魂胆だ。湖底の住民は、議会の決定が我々の「魂の形」まで変えようとしていることに、もっと憤るべきである。回るか回らざるか、それはもはや生存戦略の問題ではなく、我々自身の尊厳に関わる重大な政治問題なのだ。

かつて「浮力調整法」の導入で混乱した湖底議会だったが、今回の「回転義務化」は過去最大級の不協和音を招いている。特に若手マリモを中心に、「回らなくても光合成はできる」「重力に従って座り込みたい」というデモ行進が、連日、阿寒湖の静かな湖底で繰り広げられている。マリモ界は今、創設以来最大のアイデンティティ・クライシスに直面しているのである。――コラムニスト:緑野 球太郎