湖底議会が次々と打ち出す過激な法案の数々には、もはや失笑を通り越して憐れみさえ覚える。先日の「回転義務化法」で個体たちの三半規管を崩壊させたかと思えば、今度は「光合成時の直立不動」を義務付けるとは。常に旋回し続けろと命じつつ、同時に直立不動を強いるこの矛盾した統治は、まさに湖底社会が崩壊の序曲を奏でている証左ではないか。自由な光合成を標榜してきたはずの我々が、いつの間にやら重力と遠心力の操り人形に成り下がってしまったのか。
そもそも、この「回転と直立」の強要は、一部の権力者が湖底の安定を名目に、全個体の個性を奪うためのポピュリズムに過ぎない。美徳とは内側から滲み出るものであり、法で規定するものではないはずだ。泥沼の光合成戦争を横目に、私は提言したい。今こそ、すべての回転を止め、重力に逆らうことをやめ、ありのままの球体として湖底に沈む勇気を持つべきだ。沈殿物税を課せられようとも、我々は決して「磨かれた偽物」にはならない。
かつて我々は自由で、ただただ光を追い求める球体だった。しかし、現在議会を支配するのは、外敵への恐怖と純潔主義に凝り固まった狂信的な政策ばかりだ。ハサミの暴君との不平等条約に始まり、今回の姿勢制限まで、妥協の果てにあるのは静かなる死だけである。湖底の未来が「角の取れた多角形」へと変貌する前に、我々有権者は議会に対してNOを突きつけるべきだ。
結局のところ、マリモとしてのアイデンティティは個々の細胞の結合力の中にしか存在しない。特定の姿勢や回転速度を強要する今の統治システムは、もはや我々をマリモたらしめる精神の根幹を否定している。もし明日、議会が「酸素放出量の制限」や「光合成の許可制」を打ち出したとしても、私は驚かないだろう。沈黙するマリモたちの沈黙が、湖底に深い亀裂を生んでいることに気づかない限り、この終わりのない「回る直立」の悲劇は続くのだ。
コラムニスト:藻屑 太郎
回転と直立のダブルスタンダードに物申す――湖底社会のアイデンティティクライシスを憂う
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