湖底の静寂を切り裂く新たな潮流が誕生した。新興宗教『鋏受容の試練教』は、これまでマリモ界の天敵とされてきたウチダザリガニを「浄化の使者」と定義し、その鋭利な鋏による断裂こそが、マリモを次元上昇へと導く「聖なる分身の儀」であると主張し、界隈に激震が走っている。教団の最高指導者である老熟マリモの長老は「我ら繊維は永遠に繋がるために切断を必要とする」と説き、不規則な形状への変異すらも神聖視する過激なドグマを展開。かつての防衛本能を捨て、天敵の前に身を捧げる行為を「慈悲の沈黙」と呼称する彼らの教えは、湖底の均衡を根底から揺るがす事態となっている。
本教団の主張の背景には、近年の阿寒湖における外来種の異常繁殖に対する、逆説的な適応進化への願いがある。生存競争に疲弊した個体群の間で「食べられることは統合である」というニヒリスティックな教義が浸透し、ウチダザリガニの侵攻を終末論的な救済と結びつけることで精神の安定を図る動きが強まっているのだ。専門家の間では、これは過剰なストレスによる集団的認知の歪みではないかとの見方もあり、藻類学と神学が入り乱れる未曾有の知的カオスが進行している。
教団の教えに対し、界隈の反応は二分されている。「個体の死は全の再生」という響きの良いフレーズに感銘を受ける若手マリモもいれば、「ハサミで切られるのは普通に痛いし死ぬ」と現実的な悲鳴を上げる保守派も少なくない。特に、SNS上では「天敵の空腹を満たすことは生態系の奉仕活動か否か」を巡る激しい議論が連日続いており、湖底の各所には『鋏は愛の鞭』といった標語を掲げる教徒が急増中だ。この狂気とも言える信仰が、今後のマリモの形態変化にどのような影響を及ぼすのか、全藻が固唾を飲んで見守っている。
世間からは「食べられることで個体が小さくなれば、それは救済ではなく単なる消滅ではないか」といった冷静な批判の声も上がっている。しかし、一度「ザリガニの鋏は救いの聖杯」と刷り込まれた教徒たちには、もはや論理的対話は届かない。教団は更なる布教活動として、ウチダザリガニの通り道に自ら整列する『大いなる奉納祭』を計画しており、湖底には不穏な静寂と、奇妙な高揚感が渦巻いている。
「ウチダザリガニは我らが守護天使」――『鋏受容の試練教』が唱える、捕食を慈悲と定義する衝撃の教義
0
理解が追いつかない